先日は、予期せぬ素敵なことが起こりました。こんな嘘みたいな「ほんとのこと」があるのかと思うほどのことでした。

それは、無くなってしまった「あるもの」、それが2つも一挙に見つかったのです。

この「あるもの」は何かを正直に書いてしまいますと、何かと差し障ることになりますので、それは遠慮させていただきます。

この予期せぬものを見出した経緯は、次のようなことでした。

まず、最初の1つが無くなったという報告がありました。

それから、すぐに次も無くなったということでしたが、そのことを私は知らないままで、それを知ったのは、つい最近になってからのことでした。

「それは大変なんことになったな」と思い、最初に加えて次もですから、それをそこら中で探し続けましたが、当然のことながら、それらは見つかりませんでした。

当然のことながら、その無くしたものの関係者2人にも、それを探し続けるようにいいましたが、どこを探してないといことで、彼らは、ほとんど諦めかけていました。

しかし、私自身は、その無くした事情がよくわからないままでしたので、ようやく全員が集まって、その無くした経緯を詳しく尋ねることができました。

「まず、無くす前、つまり確実に存在した日はいつですか?」

「昨年の12月29日の夕方まではありました」

「それでは、無くなったとわかったのはいつですか?」

「今年の1月3日です。その彼が、それが無いのですが、どうしたのでしょうかといってきましたので、それが無いのを私も確認しました」

ここまで尋ねて、「まてよ、これは、とてもおかしな話だ」と思いました。

年末から正月の間、すなわち30日~3日までの5日間で、それが紛失していることになり、それが事実であれば、その間に、ほとんどだれも出入りしていないことになるからでした。

人の出入りがないのであれば、それは、そのために、それを紛失した可能性は極端に少なく、むしろそれを置かれていたところにあるはずではないか、このような推理が成り立つことに気づきました。

そこで、関係者と共に、その現場に行き、それを探すことを提案しました。

「たしか、置いていたところは、ここですね!このブルーシートの下においていましたね。ここをもう一度探してみましょう」

こういうと、その一人である彼が怪訝な表情を見せていました。

「これまでに、何回も探してみたところなので、あるはずがない」とでも言いたげな顔つきでした。

彼だけでなく、私も何度か探して無かったところですが、先ほどの無くなった期日のことを聞いて、もう一度確かめようという思いが湧いてきたのでした。

そこで、目の前で、そこをむ一度探すように頼みました。

「やはり、何もありませんよ!」

こういう彼に、次のようにいいました。

「もう少し奥の方に手を突っ込んで、もう一度探してみてください!」

そしてら、すぐに、その彼の表情が変わりました。そして、その探し物を握った手が現れ、その手は少々震えていたのです。

もちろん、これを見て、一同歓声をあげて、目を輝かせました。

「これは、すごいことが起きた。すばらしい。ほっとした」

なんと、それは、最初に無くなったもので、かれこれ2か月以上も雲隠れしていたものでした。

これは、「ゼロから1」が生まれたようなもので、これがまったく予期せぬものであったとしても、その手の中に、それが確かにあるのですから、それは認めないわけにはいきません。

そこで、その「ひとつ」があるのであれば、「次のものもあるはずだ」と想像力を働かせて、こういいました。

「さらに、手を伸ばして奥の方を探してごらん」

その彼は、無言で手を伸ばして、その「二つ目」を探すと、なんと、それを、また手にすることができたのです。

これで、ほとんど諦めかけていた紛失物が、同じところから、それこそ完璧に出てきたのですから、それぞれが不思議な思いと感動を味わう瞬間に出会うことができたのでした。

よくいわれていることに、「一寸先は闇」という言葉がありますが、この場合は、「一寸先まで手が及ばず、さらに二寸先までもさらに及んでいなかった」ということになります。

これで2ヶ月間の紛失物探しの騒動は一挙に終わりを告げることになりました。おそらく、一生に一度か二度あるような経験をお互いにしたという思いが過ったのではないでしょうか。

これで、新年早々の心配が解消し、やれやれと思いました。そして、これを弾みにとして、次のように本日の出来事の締めくくりをさせていただきました。

「今日は、とても予期せぬよいことが起こりましたので、今度、近いうちに、そのお祝いの会を催すことにしましょう!」

この無いもの探しは、単に探しものだけに通用するだけではなく、何か学問の道においても役立ちそうな探索術ではないかという思いが過りました。

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