「そうなんですよ! その『わくわく感』が大切なのです。かつての日本には、それがずいぶんありましたよ」
「たとえば?」
「そりゃー、何といってもウォークマンですよ。あの西条秀樹がローラースケートで滑りながら音楽を聴く、これは衝撃的でしたね。私も、あれを見て、すぐに買いに行きました。何も、若者だけがかっこよく見えるのでは不公平ですから」
「あなたもウォークマン党でしたか?」
「文化系だからといってばかにしないでくださいよ。流行のウォークマンを身につけて取材に行き、さすが『流行作家』と呼ばれたこともあるのですよ!」
なんだか、この文化系作家の心理がよくわからなかったが、あのウォークマンを気に入って、一時期肌身離さず持っていたことがあり、今でも、それを使っているようだった。
「その後は目覚ましい発展がありましたね。アイ何とかいうやつも出てきましたが・・・・」
「それは知りません。今でも私は、ウォークマンが最高と思っていますので、それでよいのです。アイ何とかはでは、テープが使えませんので、それはいりません」
なるほど、いまでも、頑なウォークマン党がここにいるのかと感心した。
「ところで、西条秀樹の後には、あの猿のコマーシャルで、再びブームが起こりましたね。あのときはどうでしたか?」
ここで、文化系の船長は、にやりと表情を崩しながら、「よくぞ、聞いてくれました」という顔をして、猿談義を始めた。
「あの猿は、どこの猿だと思いますか?」
「いきなり、そんなことをいわれても知るわけがありません」
「いやー、あのコマーシャルのことを理解するには、そこから始めないとわからないのです。だって、猿がウォークマンを使うなんて、おかしいことではないですか?」
「そういわれれば、そうですね。でも、アカデミー賞を独占した映画『愛と悲しみの果てに』においても、猿にモーツアルトを聞かせていましたよ」
「あなたも見ましたか?猿は、初めてモーツアルトを聞いて、逃げずに近づいていきましたね。きっと、猿もモーツアルトをここちよく聴いたのではないでしょうか。
それから、あの映画では、双翼の飛行機でアフリカの山河や海の上を飛ぶシーがすばらしいですね」
「黄色い飛行機とのコントラストがすばらしかったですね。それに、飛行中に前の操縦席にいた女性主人公が、後部座席の彼に向って手を伸ばして握手するシーンがとても印象的でした」
「あのシーンはすばらしかったですね。あなた方理科系でも、あれがわかるのですか?」
「何をいっていますか。飛行機は理科系の産物ですよ。飛行機が発明されなければ、あのシーンは生まれなかったといっても良いくらいですよ」
「それは、そうでしょうなぁー。ところで、あなたとは猿の話をしていたのですよ。飛行機の話ではありませんよ!」
「そうでしたね。あの猿は、とても気持ちのよさそうな顔をしていました。本当にウォークマンで音楽か何かを聴きながら、気持ちよくなっていたのでしょうか?」
「そこ、そこ、そこが問題なんですよ!あのとき、猿は音楽を聴いてうっとりしていたのか、それとも違うのか、ここが文化人類学的には問題といいましょうか、こういうと少々大げさにになりますので気になるところなのです」
「やはり、モーツアルトを聴かせたのですかね?」
「その可能性はありますが、もしかしたら美空ひばりかもしれません。いや、与作のほうが猿に合っているかな?」
「こう考えるとキリがありませんね。何か気になるので、キリキリ研究所の研究テーマにしましょうか?」
「それはよいことですが、いったい誰がそのようなことを研究するのですか?だれもいなくて、それを私に押しつけてくる、そのようなことはないですよね!」
「いや、あるかもしれません。なにせ、今は出航したばかりですから、やることが山ほどありますので、その余裕はないかもしれません」
「私はいやですよ。原稿書きがいつも遅い、遅いといわれ、それを自称させていただいて、さらに遅れさせているのですから、その仕事を引き受けるわけにはいきません。でも、気になりますね。猿とモーツアルトの関係ですか・・・・・」
サンタマリア号の船長が、こういいながら、すこし考えておられたようで、しばしの沈黙が生まれた瞬間に、今度は、けたたましい携帯電話の呼び鈴が鳴った。
文化系らしい、驚くような呼び鈴であり、これでは、どんなに眠気に浸っていても起こされると思われるほどの鋭い音であった。
「生まれたよ!」
携帯電話からは、いきなり、この言葉が発せられ、途端に船長の表情が崩れた。
「何が?猿ですか?」
「ばかな!猿ではない、ヒトの子ですよ!」(つづく)
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