「原発危機」に関する第五の問題は、専門家としての科学者がメディアに登場し、その科学的見解を述べている問題です。

奇妙なことは、この原発問題に関して科学者のトップを集めての対応を協議している原子力安全委員会がつい最近まで、その見解を明らかにしなかったことです。

この委員会の長は、地震直後の管首相の原発訪問のときに同行し、その視察を終えて原発事故は起こらない主旨の報道がなされましたが、その直後には水素爆発が起こり、その予測とは反対の現象が起こりました。

また、この間、テレビでも数えきれないほどの学者が登場してきました。これらの学者や専門家の発言の特徴は、最初の段階と今とでは大きく変化していくことになりました。

学者や専門家は、当然のことながら、自分の発言には責任を持たねばなりません。そうでなければ、事態の推移によって、ただちに自分が言っていたことの成否が検証されますので、それだけ厳しい状況におかれたのでした。

まず、最初の頃は、燃料棒が溶けだす、格納装置が破壊する、このような恐れがあることを述べる学者はほとんどいませんでした。

原発は安全で、深刻な事故など起こるはずもないとでも言いたげな学者ばかりで、そのことをいうためにテレビに登場してきたのかとでも思えるほどの「安全神話」を降りまいていました。

ところが、彼らが予想していたことをはるかに上回る深刻な状態が、それこそテレビに登場している間に、次々に新しいニュースとして押し寄せてきたのです。

ある有名大学の学者などは、その深刻なニュースが入ってきて、それを解説せざるを得なくなったためでしょうか、身体を震わせながら緊張して説明している姿も見受けられました。

この一方的な楽観論の発言によって、それを聞いた国民は安心するどころか、かえって不安や恐れを帯びるようになっていきました。

科学者として、専門家として、独自の見地から、この原発危機を推察し、可能な範囲で確実な意見を述べて、視聴者に正しい理解を得ていただくようにする、これが彼らの使命であるはずです。

それなのに、それとは逆のことが起こったために、それこそ数えきれないほどの学者や専門家のみなさんを知ることになりました。

しかし、すべての学者や専門家が、このような楽観と現実の乖離を見せつけたのではありません。なかには、適切な意見を述べられている方もおられました。

その一人が、エネルギー工学研究所のN部長でした。この方とは、ある学会でも一緒になったこともあり、よく知っている方でもありましたが、とても立派な発言をされていました。

その際立った発言のいくつかを紹介しましょう。

「これまでの対応を考えると、最悪の事態から楽観的改善までに存在するあらゆる問題を想定し、その総合的な見地から、最も重要な対策を考え実行していく、これが抜けていた、これからは、そのようにしなければならない」

それから、電源系統が回復すると、なにかすべてが改善されるような見通しが少し前にありましたが、これについても、彼は、次のように発言していました。

「電源系統が回復しても、すべての装置が稼働するわけではない。むしろ、動かない装置が少なからずあると考えて、その対策を考えた方がよい」

たしかに、その通りです。このようなプロとしての判断や発言が求められているのですが、そうではない印象を与える発言が少なくないのはなぜでしょうか。

この風潮に対して、ある著名な学者が、次のような指摘をなされていました。この方は、放射線防護医学に関する専門家であり、学校におけるレントゲン診断における被爆量もばかにならないので、安心できないと言っておられました。

ですから、私は、この発言を聴いてから、一度もレントゲンの定期的な診断を受けることはありませんでした。

「なぜ、レントゲン診断なさらないのですか」

こう尋ねられると、次のように返事していました。

「専門の学者が、安全ではないといっておられましたので、妊婦と同じように私も受けることは遠慮させていただきます」

ところが、この原発事故に関連して、こレントゲン診断やCTスキャンの被爆量だったら、「ただちに健康に影響を与えることはない」という「名言(?)」が繰り返し発言するようになりました。

これは、明らかに「失敗の名言」となりました。その声明を述べている方が専門家でもなく、「ただちに影響がなければ、そのうちに影響するようになるのか」という推測をできるようにしたからでした。

その言葉のひとつによって信用を失うのですから、やはり本当に安心できる専門家としての発言がとても大切です。

そのレントゲン診療発言をなさった放射線防護医学の専門家は、今回の事故に関して、次のような発言をなさrっていました。

「最悪の事態を予測し、最善を尽くすこと、これが何よりもたいせつなことです」(つづく)