日本列島が沈没する、これを明確に予知し、相当数の人々を救う、これは、田所博士が背負った重要な役割でした。

しかし、その役割を真に理解し、かれを支えた人々はわずかであり、その大部分は、「日本沈没」というありもしないことを大げさに言いふらして、気のふれた学者のいうことなど信用できない、これが普通の学者たちのいうことでした。

ところが、目の前では、田所博士が予言した通りの現象が起こってしまいますので、田所博士のいうことを信用してはいけないという学者の方が、そして日本沈没という田所説に異を唱える方の意見や避難が現実から明確に遠ざかっていったのです。

これは、自然の有する壮大なスケールやエネルギーに打ち負かされてしまう学者にとってはよくあり得ることです。

ましてや人為的災難を自然のせいにして、物事を糊塗することや最悪の事態が進行していても、それを直視せずに、表面的な楽観やすり替えを行うことに関しては、その軽薄さをすぐに見透かされてしまうのです。

さて、原発危機の数日前の状態に戻りますと、「とにかく冷やすのが先だ」といいながら、消防車や自衛隊まで動員して海水を破損した建屋の上から思い切り降り注ぎました。

燃料棒を入れていたプールの水がなくなってしまうと空焚きになるので、とにかくプールの中に海水を注ぎ込みましょうということで、それらのポンプ車の稼働を行いました。

ところが、これを行っているうちに、海の方で放射能を測定すると高濃度の計測値が続出するようになりました。

そうなると、遠くに流れれば放射能も拡散するから、「ただちに健康に影響を及ぼすことはありません」といい、この「ただちに」の用語法が批判されると、こんどは、「直接は影響しない」という、いいまわしに、それとなく変更がなされるようになりました。

「ただちに」と「直接に」がどう違うのか、その説明もないままですが、それは同義語であることに間違いはなく、これでは、それを聴くたびに、国民は「またか」と不信感を増加させるばかりでした。

そこで、疑問に思ったことは、ポンプ車であれだけ海水を注ぎ込めば、建物内で、それが貯留する、あるいは吸収されるのみではないことはわかりきっていることですが、どうやら、それがどうなるかについては、それを想定した作戦が練られていなかったようです。

原発溶融炉と連結したタービン室の中に1.5mもの高濃度汚染水が貯留し、さらに、外部のトレンチにも溜まってしまったので、それらを取り除かねばならないと大騒ぎしています。

本来、これらの対応はセットでなされることに意味があり、ポンプで注水して、その結果として汚染された水が出てくることは容易に想定できるはずであり、それを予定していた収納水槽に入れる計画を立てることなど、だれでも容易に想定できることであったことだと思われます。

しかし、残念ながら、実際にはそうではなかったようで、これを「場当たり」と呼ばずして何を場当たりと呼ぶのかとさえ思えてなりません。

そして、最も怖いのは、その炉心溶融が起こり、メルトダウンが開始されることですが、そのことは、政府の原子力安全委員会においても、その長が明確に認めるまでになっています。

これは、文字通り大変なことで、それこそ映画にあった「チャイナシンドローム」が起こるかもしれない、この現実が進行しているかもしれないのです。

これは、炉心のメルトダウンが起きて、炉心容器や格納容器の底部から放射燃料が溶出し、それが、地球を突き抜けてアメリカから中国まで貫通してしまうという現象を比喩したものです.

このシンドロームが起こるかもしれない、このようなことを少なくない科学者やジャーナリストが言い始めているのです。

事実は、一つしかありませんので、この可能性が現実化することがないように願うばかりですが、それがどうなるかは、そう遅くない時期に明確になるような気がしてなりません。

はたして、その時に、最悪の事態を想定して、最善を尽くすことができたのかどうか、そのことが改めて問われることになるでしょう(つづく)。