さて、映画「日本沈没」のあるシーンに戻ることにしましょう。
それは、東京直下型地震が起きた直後の総理官邸において、山本総理と官房長官の会話のシーンです。
「総理、あの田所という学者のいうことは信用できません。総理は、本当に、この日本が沈没すると思っているのですか。そうではなかった場合には、あの変な学者にだまされたことになりますよ。気をつけてください」
「官房長官、君は、私のことを心配して、そういってくれているのだと思いますが、その必要はありません。ところで官房長官、君は、この東京直下型地震でいったい何人の方々の尊い命がなくなったと思いますか?」
「政府の予測では約200万人と推定されていますが・・・・・」
「そうです。200万人もの尊い命が1回の地震で奪われてしまったのですよ。
私は、あの田所博士が、もっと危険だ、地震も大規模なものが起こると、そして、その危機のことをもっと強くいって、よく考えてほしいと、声を大にしていってもらいたかったのですよ。
そのことで、彼がえせ学者、気がふれた学者と非難されても、それで何人かの命が救えたはずで、そのことで200万人のうちの何人は確実に救えたはずです。
私は、彼のことを信用する、しないという問題よりも、官房長官、200万人うちの何人かでも、その命を救いたかった。
その方が私にとっては大切なことなのです」
こういわれて、さすがの官房長官も黙ってしましました。
この山本総理の思いを、それと同じ立場、あるいは、その周辺におられる方々は、どのように思われるでしょうか。
いざ、実際に災害が起こってしまえば、その危険性を訴えた学者の方が、それまではいかに馬鹿にされようと、信用されなくても、その方が正しかったという評価を受けるのです。
そして、「そんなもの起こるはずがない、ただちに影響を与える心配はない」、このようにいい続けた方々は、いかに優れていても、国民からの信用を失ってしまうのです。
さて、日本沈没では、大地震が、次の大地震を誘発し、津波も次々に発生させていきます。
その度に、津波に弱い原発は事故を起こし、破損していきます。
これが小説の世界のできごとですが、この通りにならないように願うばかりです(つづく)。
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