福島第1原発の危機的状況には、依然として油断のできない厳しさがある、「原子力プラントが不安定である」、これが官房副長官の言われたことであり、彼がテレビの画面に現れた表情に、その厳しい状況が反映されていました。
これに対して、昨日会見された電力会社のトップの方の表情には、これと対照的なものがありました。
多大な迷惑をおかけしたと謝罪する顔と、自分がすぐに辞任せず、責任を持って対応するという言葉を発した時の顔の表情には、明らかに違いがありました。残念なことに、自らの意思が込められているという言葉と表情になったのは後者の時のみでした。
テレビでは、そのままが映されますので、その表情の奥底までわかってしまいます。心をこめて発言することが重要なのですが、そのことをどこまで理解されていたのかといえそうです。実際は、そんなことまで考える余裕がなかった、これが正直なところかもしれません。
さて、官房副長官の楽観を許さない発言と厳しい表情の奥には、その翌日になっての今回の事故に関する国際的なランク付けの「格上げ変更」問題があったようです。
最初は、「レベル4」から「レベル5」へと変更され、それが、スリーマイル島沖の事故と同レベルと判定されました。
ところが、今回は、それが一気に最高レベルの「レベル7」まで引き上げられました。
これを行ったところは、経済産業省の保安院というところですが、その根拠は、原発群から放出された放射能が、その国際基準の数万テラベクレルを超えて37万テラベクレルになったからだということのようです。
これに対し、原子力安全員会の方は、63万テラベクレルを放出したということのようで、その両者には2倍に近い数値の差異があります。
同じ政府系の機関の発表ですから、どちらが正しいのか、もっと話し合いを行って協議をすべきだと思われますが、そのような調整の配慮はないようで、これ自体が混乱を招く原因となりそうです。
さて、この37万テラベクレルという気の遠くなるような放射能が、すでに大気中に放出されていますが、これについて気になるところは、その量がチェルノブイユ原発事故の時の放出量と比べて10分の1程度だから、そんなに深刻ではないという見解が示されていることです。
37万テラベクレルとは37京ベクレルのことですから、1兆ベクレルのじつに37万倍ということになります。
この放出放射能の約10倍の520万テラベクレル、これがチェルノブイユ原発事故の際の放出量です。
さて、問題は、そのチェルノブイユの事故よりは10分の1だとしても、安心は少しもできないところにあります。
なぜなら、チェルノブイユは、すでに過去に起きたことであり、その数値も確定されていますので変化することはありません。
それに対し、今回の福島原発の事故は、現在も進行中であり、その後の事故の経過も含めて考えると、「レベル5」ではなく、「レベル7」に引き上げられたものです。
肝心な情報は、少しも開示されていませんが、このようにより深刻な状況判断がなされるということは、当事者が一番よく知っていて、その深刻さを理解し、それを発表せざるを得なくなったということではないでしょうか。
そこまで、深刻な状況に追い込まれて発表になった、これが真実に近い状況ではないかと推測されます。
それから、本日の新聞報道によれば、福島第1原発が有している放射能の総量は、これまで放出した37万テラベクレルの約100倍だそうです。
現在までに、その100分の1が放出されたそうです。これがそれで済むことが一番よいことですが、「それで留まって心配はない」と、当事者から発表されたことは今まで一度もありません。
再び、地震や津波が襲ってくれば、この残りの一部が放出されてしまうという非常に危険な可能性が残されているからではないでしょうか。
この原発事故をめぐる現実は、次々に新たな問題を出現させ、それこそ、ある方が言われたように「もぐらたたき」の様相を呈しています。
3機の原子炉と2つの燃料プールでの事故と故障、これらが次々に深刻な問題を連鎖的に引き起こしているからです。
その状況を踏まえての「レベル7」への変更だと思われますので、それこそ何が起こるかわからない、モグラがどこから顔を出すのかがわからないのです。
これは大変な危機が進行している、それこそ「レベル7の危機」が現在も進行している、このように考えることが重要で自然なことではないかと思われます。
この状況は、小説『日本沈没』の下巻の最初の頃に描かれた情景とよく似た部分があります。(つづく)。
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