「高齢者問題の研究は、総合的に、そして実践的に、そしてしつこく、粘り強く行われました。とくに、2011年3月11日に起きた東日本大震災と津波による大災害は、この問題の重要性をさらにクローズアップさせました」
「原発を含むあの大災害は、日本人を含めて世界中の方々の目を覚ましました。いのちとくらしを根こそぎ奪い、さらに、あの原発危機は、いまだに継続して進行し、あれから10年経っても一向に解決していません」
「そうですね。最近になって10年目の特集がメディアで放送されていましたが、その本格的な復興は、むしろこれからなのですね。それから、あの原発災害、これは容易ではありませんでしたね。
今日まで、ここまで深刻な影響を与え続けてきたことを振り返りますと、最初の過誤がいかに重大だったかがよくわかります」
「仰るとおりですね。この大災害で少なくない方々が犠牲になり、その影響はいまだに続いていて、それが日本人の内部まで深く浸みこんでいたことが、その後の過程で明らかになっています。
しかし、一方で、この災害は、逆に、日本人の底力といいましょうか、かえって本当の力を芽生えさせたのだと思います」
「高齢者が、みずからの健康や医療問題を改善させ、さらに地域の産業資源を最高度に活かした地域づくり、生活づくり、これらが真に問われるようになりました」
「その地域から、生活目線から、そして人々のいのちとくらしを踏まえての復興か、それとも、上から目線といいましょうか、東北州とか、世界に発信できる研究機関とか、エコタウンとか、いろいろなことがいわれてきましたが、どうも、これらが、しっくり地元とはかみ合いませんでした」
「いったい、それはどうしてなんでしょうか。あれだけの予算をつぎ込んだのですから、もっとなんとかななったはずですが」
「それは、今の日本社会において、最も困難な問題に取り組むことになったのですから、なかなか、それが思うように進展するということにはなりませんでした」
「といいますと?」
「大災害を受ける前の日本における東日本の役割は、第一に、農林水産資源、すなわち食糧生産の基地となり、それらを東京を中心とする関東地区に運ぶことにありました。第二の役割は、自動車を中心とするハイテク部品を生産する拠点でした。
この第一の課題を達成することは、日本の農林水産業を立て直すことですから、それでみなさまの生計が成り立てば、それこそ、日本全体を救うモデルになれたはずでした。
これに対し、第二の課題の実現は、相当困難性を伴うものでした。なぜなら、すぐに、大手企業は海外へと向かいましたし、残された中小企業は、本当の自主再建を余儀なくされました」
「そこで、文字通り、遺された第一の課題と中小企業の自立問題が、その東日本を支える重要な課題となりました」(つづく)
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