「東日本地区は、漁業で生活が成り立つ地域でした。それは、親潮と黒潮がぶっつかり、天然のすばらしい漁場が近くの海にあったからです。その意味で、この海は、いのちを支える宝の海だったのです」

「その通りです。宮城の松島から、北に上がりますと、それこそ漁業基地が八戸までいくつも連なって形成されています。これは豊かな海があって、それを基礎に漁業や水産業がしっかり成り立ってきたのです」

「この漁業、水産業の発展が、東京を中心とする関東地区の食糧基地、食糧庫になっていきました。新鮮なサンマやカキ、カツオをおいしく食べることができるようになったのは、この地区の漁業が発展したからでした」

「カツオ、サケの遠洋漁業、定置網、カキ、ホタテの養殖、ワカメなどの海草栽培など、海の環境に応じて多様な漁業形態が成り立ってきました。しかし、船が流され、破壊されました。定置網もずたずたにされ、カキの筏もなくなりました。

さらに、港の機能が喪失し、漁業施設や水産加工場も破壊されました。しかも、湾内には、瓦礫が大量に堆積し、沿岸近くの海は大きく変化してしまいました」

「この劣悪な海の環境と海の復元能力、これらが相対峙して競い合うことになりました。通常の場合、汚れた分を回復させるには、その3倍の浄化能力が必要になりますので、この回復力をいかに増やすか、これが重要な問題となりました」

「そうでしたね。あの10年前の大津波による壊滅的破壊は凄まじかったですね。どうしようかと頭を抱えていたときでした。そんなときに、小さい泡の技術が登場してきました」

「その小さな泡の技術、最初は何かと思っていましたが、これが結構大変な威力を発揮しました。小さな泡に、そんな力があるとは思いませんでした」

「私も、そう思いました。『たかが泡、されど泡』とでもいいましょうか。これが海に注がれて、いったいどうなっていくのか、その成り行きに注目しました」

「私も、それから、この泡のことを調べてみました。そしたら、2000年前後には、この技術の海への適用が始まり、広島のカキ養殖、北海道のホタテ養殖、さらには三重県の真珠養殖など二枚貝を中心に小さい規模ながら重要な成果がいくつも出てきていました」

「そうですね。細々とした研究や現場での実践の連続でしたが、粘り強く、それこそこつこつと続けられました。奄美大島のマベ真珠、長崎の河豚養殖、熊本の海老、有明海のタイラギ、宍道湖のシジミ、三重、岡山、岩手のカキなど、この小さな泡の技術は、徐々に広がっていきました」

「個々の規模は小さかったのですが、この小さな泡は直実に成果を重ねていきました。生物は正直です。自分にとってよいものは、すぐに受け入れ、成長に結びつけていくことができます。いわば、その小さな泡で血肉化を遂げることができ、元気になっていったのです」

「これらの事実は、小さな泡についての新しい科学技術が実践的に生み出されたことを意味していました。しかも、この技術が、有名大学や大手企業から生まれたのではなく、小さなコーセンという教育機関から創出されたこともユニークなことでした」(つづく)

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