もう一度、孟子の言葉を考えることにしましょう。

「天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず」

この言葉は、戦争をするときによく引用されてきました。いくら、天候や運があっても、地の利がなくては勝てない、そして地の利があっても、人の和がなければ、結局は負けてしまうという意味のようです。

古来、中国の君子たちは、この3つが揃う時に戦を仕掛け、必ず勝利していたことから、この言葉が受け継がれてきたようです。

さて、これを映画『七人の侍』に当てはめてみることにしましょう。

時は戦国時代、闘いに明け暮れる武士たちが溢れていました。その武士たちをお百姓さんが雇い、自らの部落を防衛する、これがもともとの動機です。

かれらは、自分たちのみでは部落を守れず、武士たちは金もなく食べることさえできなくなっている、しかし彼らは戦のプロであり、ここで、利害が一致します。

百姓たちは、武士に食べ物を与え、武士は、自らのプライドを捨て、お百姓さんとともに闘うことを選択する、この契約関係が成り立ったのです。

ここには、戦乱が続く中で武士という階級が成り立たなくなって、生きていくには何でもしなければならないという状況に追い込まれている姿がありました。

しかし、お百姓さんにとってみれば、自らを守るために武士を傭兵するという画期的なことを成し遂げたわけですから、これは「天の時」だったのかもしれません。

武士の中には、昔のプライドを持ったままの方もいて、それこそ百姓に雇ってもらうなんてできないと、その傭兵を断る姿もありました。

ところが、主人公の島田勘兵衛は違っていました。街中で、人質になっている子どもを救うために、頭の毛を刈って坊主に扮するほどですから、そのお百姓さんからの傭兵にも応じて、自ら、その戦を行う能力と意思を持った侍たちを集めて行くのです。

そして、大勢の侍の中から、その精鋭部隊の6人を選びますが、それに、菊千代という志願者が加わり、その「7人」が編成されたのです。

ここで大切なことは、その精鋭部隊が、どのようにして成り立ったかの問題であり、それを次のように考えます。

①この戦の目的は明確であり、お百姓さんとその部落を盗賊から守り続けることにある。その戦を行うことに正義があり、それをよく理解していたこと。

②島田勘兵衛など戦に明け暮れた侍たちと一緒に、真の戦をしてみたいと思ったこと。当時の戦には意味がないという戦が多く、しかも彼らは傭兵だったので、雇い主のいうままに戦をして、そのことに嫌気をさしていた。

③食べることが確保されると思ったこと。

こう考えますと、これは彼らにとってまったく新しい闘いであり、そこに魅力を感じたのではないでしょうか。

このままでは滅びる、なにもしなければ、今以上にすべてがなくなってしまう、どうすればよいのか、このような思いに耽らざるをえなかったのはお百姓さんたちでした。

しかし、その思いは、かれらだけのことではないような気かがします。よく考えてみますと、それは今日の東日本大震災の被災者のみなさんの心の中にも存在してます。

重く苦しい被災地は、彼らが闘いを繰り広げた戦場とほとんど変わらない、悲惨さであふれていたのです。

「天の時」とは、そのものすごい自然のエネルギーが押し寄せて、一挙に命と生活、産業を根こそぎ奪い去るという破壊と壊滅が起こった時だったのです。

こうなると、七人の侍たちの戦も過去のものと考えてしまうことにはいかない問題がありますね。

現代の戦、これも「天の時」が示すものかもしれません(つづく)。

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