本日も、早朝散歩に出かけています。そういえば、本日の朝刊に先日取材を受けた記事が掲載されると連絡があったので、それをセブンイレブンに買いに行きました。

さっそく、その新聞を見つけ、その記事を探していたら、立ち読みと間違えられ、「立ち読みはご遠慮ください」といわれてしまいました。

「そうではないですよ。この新聞は購入しますので、ご心配なく」というと、その売り子は安心したようでした。

そこで、今朝は、その新聞を持ちこみ、いっぱいのコーヒーを飲みながら、散歩の途中の朝のプライムタイムを過ごしています。

この新聞の1面には、「1月を待たず冷温停止に」という見出しがあり、その可能性を国の代表者が示したとの記事がありました。外国製品を寄せ集めた冷却装置なるものが稼働しはじめたからでした。

しかしこれは、先日のテレに出演されていた学者の発言とずいぶん違う認識です。

この方は、同じく、政府の諮問機関である事故調査委員会の有力メンバーのお一人ですが、この方の認識とは、それこそ小さくない隔たり、すこしオーバーな表現を用いれば「天と地」の違いほどがありました。

この場合、どちらが天で、どちらで地かの詮索はしませんが、このような認識の段差が不振を生み出す原因になるような気がしています。

さて、この危機の認識の相異を比較検討しますと、そのどちらに本質や真実が存在しているかを鮮やかに見分けることができます。

案の定、その楽観論は一日で吹っ飛びました。放射能汚染水の処理装置が、わずか5時間で停止し、その回復には数日もかかるというのです。

これを受けて、見通しが出てきたという判断はなんだったのかということになります。軽はずみの発言とは、このことかとさえ思ってしまい、恥ずかしい思いがしました。

この自らの足元を見ることができない弱さは、現場で何が起きているかを理解することもできないことに結び付き、軽はずみな言動として露出するようです。

この指向や傾向は、どこにでも普遍的に存在するようで、つい最近においても、そのような光景に出くわしました。

少し横道に逸れてしまいました。それにしても、先ほどから、この早朝の喫茶店は客でにぎわっています。週末だからでしょうか。最近は、このようなところにみなさんが集まってくるのですね。

今週は、この早朝散歩で体調がより健全化してきたせいでしょうか、いろいろな取り組みが進みました。

これから、梅雨が明け、夏がやってくると、それらの取り組みも本番に突入していきますので、その夏の到来を心して迎えようと思っています。

ところで、掲載されると聞かされていた新聞記事を隈なく探してみましたが、それは見つかりませんでした。なにか、事情があったのでしょうね。

このように書き留めていたのが土曜日の朝、昨日は朝から雨がかなり降っていて一日中外に出ることができませんでした。

おかげで、相変わらずの「書類づくり」がやや進展することになりました。

これは、日本中のお年寄りを元気にするプロジェクトの構想であり、その小さなモデルを作ろうといういうものです。

これから、高齢者が増える世の中がやってきますが、その方々が大いに活躍できる世の中を創出していく必要があります。

問題は、それを可能とする智恵の出し方であり、これにも、「鋭く、大きな直観」の発揮が求められているように思います(つづく)。

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