名古屋から東京駅の間、ここではトンネルが少なくパソコンの電波事情がよくなり、絶好のモバイル通
信ができます。

そこで、必然的にパソコンに向かう、この機会に恵まれることになります。そして、東京までに、その懸案をこなす、この目標が生まれ、俄然、その気になって集中力も増してくる、このゆかいな時空間が確保できるようになるのです。

昨日も、このパターンに陥り、それこそ、東京の弁理士さんとのやり取りを繰り返しました。

近頃は、取り組む仕事の軽重に応じて、その事前のやる気の出方が異なります。前者の仕事は、それこそ簡単に取り組めますが、少々重い仕事となりますと、その踏ん切りができるまでに、あれこれと迷いや揺れが生じ、なかなかそれに取り組めないという心理状況になります。

私の脳が、それを振り切る集中力を要求しているのだと思いますが、この発揮には工夫が要ります。昨日は、「名古屋に着いてから始めよう、取りかかろう!」、このようにかってに自分で決めて、自分を追い込んで行きました。

「そろそろ名古屋か、その準備に取りかろうか!いや、名古屋を過ぎてからにしようか?」

どりらでも、よいことですが、優柔不断の私にとっては、名古屋の前か後では、随分と異なることになってしまうのです。

この場合は、数分の違いですから、いずれにしても大したことはないのですが、この優柔不断の動揺が何カ月、何年もなりますと決して小さな問題ではなくなります。

約半年前にも、今年はどうしようか、そして今年も含めてどうしようかとわが身のことを考えたことがありました。その前から1、2年考えてきたことですから、これは決して名古屋かどうかという短期の問題ではありません。

「自分の人生をどうするか」ということですから、あまり、自分の身分や地位、それに類することに拘らず、「自分のしたいと思うことを存分にしたほうがよい」、このような結論に達し、「それで行こう!」と決めた矢先、それは思わぬ方向に転じることになりました。

この旅路も、その結果として生まれてきたものです。

さて、名古屋からは、この懸案を新幹線内で生まれる集中力を発揮してクリアしようと密に群がる蟻のような感じで取り組んだのですが、結局、時間が足りず、次の東北新幹線のなかまで持ちこむことになり、それでも、時間が足りず、本日ホテルの中まで持ちこむことになりました。

東京駅では、テレビ映像製作会社の方と打ち合わせをしました。それは、これから始まる取り組みについて、「サイエンス・ニュース」という企画があり、その提案が認められたのでよろしくという依頼を受けてのことでした。

これは、私どもにとって、それこそプロ中のプロがマイクロバブルのサイエンスを現場での実践も含めて映像化し、ニュース化してくださるのですから、願ってもないことです。

そこで、これからの陸奥での取り組みの計画と内容、スケジュールに関する綿密な打ち合わせをさせていただきました。

その結果、現地のほかに、私の研究室にも来てくださることになりました。

こうして、今回の旅は、少なくない方々からの気体と支援を受けることになりそうで、それこそ、心してかからなければならないことになりそうで、徐々に、その圧力(プレッシャー)を感じています。

列車は、東京駅から東北新幹線「やまびこ」で一路仙台へ、座席は比較的空いていて、ここでもじっくり懸案の仕事に取り組むことになり、車窓を眺めて楽しむ余裕はありませんでした。

江戸から東京へ、かの有名な芭蕉も出かけた「細道」ですが、この細道を辿りながら、それが徐々に太くなり、陸奥のみなさま方との協力が進むとよいなと思っています。

しかし、そこに待ち構えているのは、あの「瓦礫の山」と「災禍」です。陸奥に足を踏み入れ、フクシマを通り過ぎて、ふと手を休めながら、「この旅路はどうなっていくのであろうか」、そのような思いがちらっと過りました(つづく)。

     
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