新幹線「やまびこ」に乗り換えて陸奥仙台へ駅前でKさんと待ち合わせ、さっそく被災の様子をききました。長い間揺れ、すぐに停電になり、実際の津波の映像や悲惨で深刻な災害の様子を知ったのは、しばらくして電気が復旧してきてからのことであったとのことでした。

またKさんは、震災と津波の直後に、支援物資を持って従業員の出身地である陸前高田市に入ったそうですが、あまりの惨状を前にして立ちつくしながら涙が出てしかたがなかったとのことでした。

Kさんとの会話は、いろいろな話に及び、これから前向きに取り組む重要な課題も明らかになりました。

話が一段落して、ぜひとも私に紹介したい人がいるのでどうですか?、会ってみられますか?と尋ねられました。

この方とは、かつて電話を通じて知り合いになっていたのですが、直接会ったことはなく、かつては広く水産物の販売を手掛けておられた方のようでした。

このMさんは、ものづくりにおいても大変な造詣家であり、チャレンジャーでもあり、その豊富な経験から繰り出される話は興味の尽きないものばかりでした。

これらの話がどんどん盛り上がっていきましたので、まず、水沢市に予約していたホテルの宿泊をキャンセルし、場所を移して、その続きを行うことになりました。

「話が尽きない」とは、このようなことをいうのでしょうか。久しぶりに痛快で迫力ある話をいくつも聞かせていただきました。

やはり、Kさんも含めて人生経験の豊富な方々の話はおもしろく、彩りがありました。そしてこの三者の共通項として双子の子どもがあることにも驚かされました。

ところで、もののはずみといいましょうか。それとも、チャンスを大切にするといいましょうか、さらには、好意に感謝するとでもいいましょうか、翌朝は、このMさんが車を運転して三陸海岸までエスコートしてくださることになり、その申し出を受けることにしました。

じつは、一関でレンタカーを予約していたのですが、それもキャンセルし、仙台から一路、一関、そして海岸へ向かって気仙沼まで出て、それから陸前高田市を通って北上する、このルートが一番よいとのことでした。

なにせ、初めての土地ですから、目的地まで無事着けるかどうか、少々不安がありましたが、これで大変な友軍を得たことになり、Mさん、Kさんのご厚意に深く感謝したしだいです。

この道すがら、昨夜に続いて、若かりしころのMさんの武勇伝も含めて話に花が咲いたのはいうまでもありませんでした。

車は、一関から東の海に向かって一路、北上山脈を横断していきました(つづく)。

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