今も昔も、そこは木曽のA村。馬籠から少し外れた小さな村。

ここに、昼間から神様が出現するという温泉場がありました。かの有名な吟遊詩人の種田山頭火も、この地に分け入り、温泉に浸かり、旅の疲れを癒したそうです。

「分け入っても、分け入っても、青い山」

この代表句の着想は、この経験が役立ったのかもしれません。しかし、詳しいところは定かではありません。

いつごろからでしょうか、ここは長寿の村として、そして戦いに敗れた兵士たちが落ちのびてくる温泉郷としても知られるようになりました。

そのうわさがうわさを呼び、敗残兵たちの間に口コミで広がり、A村は、いまや知る人ぞ知る温泉郷となっていました。

「どうも、切り傷によい温泉らしい。その昔から、傷ついた猿も、この温泉に入りにきたらしい。なかには歳をとった白い猿もいたそうだ」

武蔵も、この話を小耳にはさんでから、この温泉に興味を持つようになりました。とくに、白い猿が温泉に入りに来ると聞いて、機会があったらぜひとも訪れてみようと思うようになりました。

長年、無理な修行を重ねてきたので、さすがの武蔵も、初老を迎えて疲労が腰に蓄積するようになり、あの巌流島の闘いで痛めた古傷も疼くようになっていました。

しかし、武士の中の武士を目指す武蔵にとっては、これしきのことは何でもないことであり、そのためにわざわざ温泉に出かけることはありませんでした。

ところが、その白い猿の話を聞いてからは、事情が一変し、その温泉を訪ねてみようという気持ちに駆られる一方でした。神の権化といわれる白猿と向き合い、会話をしてみたくなったからでした。

尾張から木曽へ、山頭火が辿った道を、なぜか、武蔵も辿っていきました。それは、温泉にたどりつくまでに、おいしい水が出るところに行き、喉をうるおしていたからです。

少し昔、京都の有名な茶人も、この水を求めて、木曽路に分け入りました。奥へ奥へと分け入るほどに、おいしい水に出会うことができたのです。

そして、このおいしい水を探して辿りついたのが、清外路村の「一番水」だったのです。この茶人は、自らの探索記を書き、その弟子たちに広めたのです。

それ以来、弟子たちが、この木曽路の道を分け入っては、この水を求める旅をしたのです。ここから水を求める旅、水紀行が京都の茶人仲間でちょっとしたブームになっていきました。

そして、この水のそばに温泉があり、猿たちが湯治をしていたのです。その中に白い猿がいて村人たちは、神様が猿に身を宿してやってきたのだといい始めました。

その猿たち昼間から温泉に浸かっているので、昼猿温泉とか昼神温泉といつしか呼ばれるようになりました。

近年、高速道路のトンネル工事の際に、この温泉が見つかったといわれていますが、これは公式見解であり、じつは、隠れた秘湯として、知る人ぞ知る温泉だったのです。

水と温泉、そして白い猿、これらが初老の武蔵を惹きつけていったのです。

「おいしい水をたっぷり飲みたい、そして温泉に心行くまで浸かりたい」

この限りにおいては、武蔵も普通の人と同じでした(つづく)。

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