久しぶりに早朝散歩に出かけようと思い、ドアを開けると、小雨模様、どうしようかと一瞬迷いましたが、「これぐらいの雨だったら大丈夫」と思い、傘をさして出かけることにしました。

長旅から帰ってくると、疲れの回復とともに、今度は急ぎの仕事が追いかけてきます。

この追いつ、抜かれつの生活の繰り返しですから、並みの神経では持ちません。自然に萎えてしまうといいましょうか、減衰する、これが歳を重ねて起こる現象といえます。

しかし、この自然の摂理に逆らうとなると、これは結構大変なことで、知恵も工夫も、そしてやる気も、体力も人一倍必要になってきます。

それに、こうやって1100回も超えるブログを連載して毎日更新していますと、「マイクロバブル博士」という、私とは別の(?)の人格もできあがり、今度は、その「マイクロバブル博士」のために「尽力」するという「ふしぎな感覚」も生まれてきています。

それにしても、「マイクロバブル博士の旅日記」、よく続いていますね。もっとも、この旅が続く限り、書き続けるのですから、それが続くのも必然的なことなのですが・・・・。

「ブログは毎日書かないとブログではない」、「読者に読んでもらうなら毎日書きなさい」、こう木更津高専の国語の先生にいわれ、始めてしまった本ブログですが、ここまで続き、私を「鍛え続ける」とは夢にも思いませんでした。

それから、他の方のブログにも引用されているようで、これもありがたいことだと思います。

先日も、友人の「ハッチ」さんのブログで、その引用がなされていましたので、それを読ませていただきました。

我ながら、結構読むのが大変で、よくこんなに書けるなと、他人事のように感心させられてしまいました。

読むのも大変な長文のブログ、毎日書きながら鍛えられているブログ、マイクロバブル博士という同じようで別の人格を形成しつつある方のブログ、このような特徴が出てきているような気がします。

とにかく、このような調子で、相変わらずの自転車操業ですが、マイクロバブル博士として、この旅日記を書かせていただきますので、これからも、どうかよろしくお願いいたします。

さて、今日の焦点は、東日本大震災の復興と相変わらずの原発危機の進行にあります。幸いにも、前者については、専門家としての事業に参画できるようになり、これからマイクロバブルの真価が現地で問われることになります。

その結果を少なくないみなさまが注目されていますので、心して取りかかろうと、その準備に明け暮れています。

あれだけの大震災と津波の災禍の後で、それらの復興に立ち向かうわけですから、それが容易なことではなく、その過程においてもさまざま困難が待ち構えていて、それらを、それこそ一つずつ解決していく、すなわち、困難解決型の対応が本当に必要になります。

どこかの大臣が、「知恵を出せ、知恵を出さないのは助けない」といって、自らの首をふっ飛ばしましたが、これとは違う意味で、「知恵」が必要なのです。

「知恵」がなければ「復興なんてとてもできるものではない」、「なにもないところ」から復興するのですから、当然智恵を出さざるをえない、これが自然のことなのです。

もしかしたら、「知恵を必要とする者」ほど「知恵を出せ」というのかもしれませんが、知恵を出す者にとっては、それは当り前のことであり、その知恵そのもので勝負していくのです。

それから、それは「誰のために知恵を出すのか」、これをふかく考えることも重要です。通常、知恵を出すものは、知恵を出すことができない方々のために出すのであり、今回の場合には、それが復興支援に相当するのです。

すなわち、知恵を出すのは、被災者のみなさんのためであり、そのために専門家が知恵を出して復興に貢献する、これが自然の姿といえます。

そのための知恵の出し方、これが競争になり、知恵の競い合いが起こりました。そして、今度は、その知恵を実際にどう生かすか、「知恵を出さないものは助けない」ではなく、「知恵をいかに出して、どう助けるか」、これが真に問われているのです。

それにしても、現在の状況は、社会が激しく揺れ動いているせいでしょうか、物事の本質が非常にリアルに見えてきます。そのことで私たちは、新しいことをいくつも深く学習しています。

私も、あの東日本大震災の惨状を目の前にして、深く考えさせていただきました。

専門家としての智恵とは何か、その知恵を発揮してすべきことは何か、これから、それをどう深く受け留め自分のものにしていくのか、それらの課題が次々に生まれてきています。

21世紀は、このような困難に立ち向かう、困難解決型の人々が必要とされているのではないか、そのことが実践的に試されているのではないでしょうか。

この困難解決を通じて、新しい日本人が形成される、そのような時代に突入したように思われます。

「鋭く、大きな直観」を引き出す「知恵」、その発揮が問われている時代なのです(つづく)。

Kutinaqsi2

くちなしの花(山梨県甲府市K氏撮影)