久しぶりに、本日はゆっくりと土曜日を過ごしています。昨日までに、緊急の懸案事項について何とか処理できることになりそうで、少し安堵感が漂うことになり、ほっとすることができました。

そこで、たっぷりとマイクロバブル入浴をして、さらにリラックスし、それから珍しく昼寝もさせていただきました。

若い頃は、寝ずに働くことがあり、その代わりに寝だめを行うことで、それを補っていました。その寝だめではありませんが、久しぶりに何もせずに一日を過ごすことができました(といっても、ブログは書いていますが・・・・)。

時には、このようなことも必要なのですね。

しかし、頭の中ではいろいろなものが巡ってきます。最近、よく頭に浮かんでくるのは、「わらしべ王子」の童話です。

これには、2つのストーリーがあるようですが、いずれも知恵で物事を発展させていくシナリオです。

ここで、想起するのが、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」の言葉です。辞書を紐解きますと、この用語の意味は、次のように解説されています。

「一身を犠牲にするだけの覚悟があって初めて、活路も見出せる」

「わらしべ王子」の物語では、一身を犠牲にするすべてを投げうつ、賭けることで、次の展開が可能となります。いわば、自らを賭けて活路を見出していく知恵が問われることが主題となっている物語ではないでしょうか。

また、このことわざは、空也上人の次の作に由来するとも伝えられています。

 山川の末に流るる橡殻も 身を捨ててこそ浮かむ瀬もあれ

「山間の川を流れてきたトチの実は、自分から川に身を投げたからこそ、浮かび上がり、広い下流に到達することができた」とのことです。

この「浮かむ瀬」とは「成仏の機会」を意味することのようで、これが流布することで、「開眼成就」の意味としても使用されるようになったようです。

さて、この物語の面白さは、そこに発揮された知恵の中身が徐々に発展していくことにあります。一見価値のないハエや藁(わら)がより価値のあるものに置き換えられていくのです。

このときの価値の移行の過程で、身を捨てて「知恵を発揮する」ことに妙味があるのです。

通常の場合、この次の過程における価値の交換を予想することができず、それを躊躇してしまい、身を捨てることができないようで、ここをブレイクスルーできるかどうかが問われることになります。

身を捨てるほどの価値を次に見出すことができるのであれば、人は簡単に身を捨てるのですが、それが容易に保障されるわけだはなく、また、その予測もできないことから、次に踏み出せないのです。

このブレイクスルーを行うときに、真に問われるのが、あの「鋭く、大きな直観」ではないかと思われます(つづく)。