陸前高田市を遠望しながら峠を越え、眼下に大船渡湾を見下ろすところまできました。この国道45号線を下れば、すぐ右手に大船渡湾が開けています。

また、この国道を北上すれば釜石、宮古へと通じています。

車は、この45号線を右折し、旧大船渡市街地(津波で破壊されつくしているので、こう呼ぶことにする)に入りました。途中で、ガードマンや警察官が交通整理をしており、港に行く道を尋ねました。

海のそばまでいって左折し、海岸通りを北上しながら旧中心街に向かいましたが、車窓からの景色は、目を疑うばかりの破壊尽くされた惨状ばかりで、思わず言葉を失いながら、それを見続けました。

しかも、車が中心部に向かえば向かうほど、すなわち北上して湾奥に行けば行くほど、その被害がとてもひどく、壊れたたビル、家屋、そして瓦礫の山のなかを進むという状態でした。

この地域は、コンクリート構造物が多く、その破壊尽くされた建物の色は白っぽく、後で見た陸前高田市の茶色とは顕著な違いを見せていました。

ここはかつて泊まったことがあるホテル、このホテルの5階か6階から、窓の外の大船渡湾を眺めた記憶が蘇ってきました。

このホテルも、その下部が破壊され、誰もいない廃墟のようになっていました。この周辺には、港を構成する建物がぎっしり並んでいたのですが、それがなくなっているか、破壊されていて、それこそ一つも無事の建物はありませんでした。

このホテルの近くに川が流れていて、その傍にあった割烹の料理店、ここには何度か行ったことがあったのですが、それも、どこに流されてしまったのか、少しの名残もありませんでした。

かろうじて、山手の方には二階建ての家屋の枠組みだけがありましたが、これらも破壊されたままで、そこから押し寄せた津波の高さを推し量ることができました。

大船渡湾は、長さ10km、幅2km、深さ約20mのサイズです。この容量は、2×10立方メートルです。

ここに、高さ10~15mの津波が押し寄せ、北上、すなわち中心街に向かうにしたがって、その勢いを増し、自らのエネルギーを高めて、この大船渡湾最奥部の西側に形成されていた中心街を飲みこみ、破壊していったのです。

先日、この津波のシーンを少し見させていただきましたが、ここから見えてきたのは、その水深で、周辺の高地の部分しか見えない映像でした。

湾奥に行けばいくほど、その波高が大きくなり、破壊力を増して、なぎ倒していくのです。

さぞかし、凄まじい光景だったことでしょう。この破壊尽くされた惨状を目のあたりにしながら、その時のことを思い浮かべてみました。

このホテルの近くには、名物「かもめのたまご」で有名なお菓子屋さんの本社もあり、ここも破壊されていました。

こうして破壊された建物の残骸が延々と続く海岸線があり、そこには人が一人もおらず、動いているものは、車とわずかな台数のブルトーザーのみでした。

東の方を見渡すと、その隙間から穏やかな大船渡湾の水面が、まるで何もなかったように静かにきらきらと輝いていました。

「認めたくなくても、この現実から目を背けるわけにはいかない。この現実を認めるしかない」

これが、破壊尽くされた旧市街地のなかで立ちすくんだ私の「思い」でした。

「この現実から出発するしかない、ここからしか出発できない!」

こう呟きながら、その思いを強く新たにさせていただきました。

「これは一生忘れることができない光景になるであろう。これからは、これを原点にして災禍に立ち向かっていくことを考えていく必要がある!」(つづく)


大船渡線路寸断
線路がなくなっている大船渡線、向こうに見えるのは破壊された大船渡市街。YO氏撮影。