「わらしべ王子」と「わらしべ長者」、これは似ているようで、似ていない話のようです。最初の交換物は藁(わら)ですが、これはいずれも同じです。

しかし、そのワラからが違うのです。前者では、このワラと味噌の交換になります。しかも、このワラは、亡き母が大切にしなさいと言い残したものです。ですから、どのように大切に使うか、ここに重要な思いがありました。

これに対し、後者は、ワラにハエを結び付ける話ですから、ワラには、上記のような思いは含まれていません。むしろハエの動きが注目されてしまいます。

そこで、ワラを味噌と交換して食べ物の足しにしたいという思いが湧いてくるのですが、その意味においてワラと味噌では、明らかに味噌の方が大切で価値あるものと考えられています。

そこで、この交換は、普通成立しないのですが、そこを粘って、味噌と交換してくださいと訴えかける、かわいそうなワラしか持っていない子どもが、味噌と変えてくださいとお願いして、頼み込む、この懇願で交換を成し遂げようとします。

これに対し、ハエの方は、その飛び方がおもしろいので、それをほしがった子どもがいたという構図ですから、等価に近い交換が試みられます。この場合、その子どもの母親が持っていた「みかん」でハエとの交換が無事行われました。

前者においては、しぶしぶの味噌との交換、後者においては、喜んでのミカンとの交換になりました。

そして、前者の場合は、ワラを大切にしなさいという母の教えがあり、それゆえに、粘って、より大切な味噌との交換を成し遂げることができました。

後者の場合は、ワラにハエを結んだという妙があり、このアイデアが「みかん」との交換を可能にさせました。

これらから教訓を見出すとすれば、母の教え、粘り、そしてアイデアの妙、この3つになります。

しかし、このいずれの場合においても、すなわち、味噌やミカンが、その次に何に結び付くか、何と交換するかは明らかになっておらず、その見通しがないまま交換がなされていることに重要な特徴があるともいえます。

また、ワラと味噌、みかんは、すべて交換しきったもので、後に、ワラを残したわけではありません。すなわち、ワラのすべてをかけて交換したわけです。

そこで、これらを踏まえて、この教訓について少し考えてみることにしましょう。

まず、「母の教え」、これは重要で、誰しも心の中に残っているものといえます。この場合、直接母が教えとして残す場合と母自身が教えを残さないでも、その生きざまが、そのまま教えとなることもあります。

この母子の間に残るものは、母がいかに子どもを大切にしたか、子どもが母親にいかに大切にされたか、その実践の結果といえます。

この場合、母が大切にせよといったワラは、自分が母親から大切にされたことと重なって、そのワラへの思いが具現化されていたのだと思います。

その母の思いが込められていたからこそ、粘って、粘って、とうとう味噌との交換を可能にし、その母の思いを遂げることができたわけで、ここには、その達成感が生まれています。

それは、アイデアの妙の結果としての達成感とは本質的に異なっており、ここに小さくない相違点が生まれているのです。

これらの場合は、それぞれ異なる達成ですが、実際の社会においては、これらが融合して達成されることも少なくありません。

すなわち、母の思いがアイデアの妙と結び付いて実現されると、その相乗効果も手伝って、相当強力な達成へと導かれる可能性が出てきます。

この時、アイデアや機知に富んだ母親であれば、なおさら喜ばしいことになります。私の子どもの頃は、みな貧乏でしたから、その苦労の中心を担ったのが母親でした。

ですから、その母親たちはみな、苦労をしながら、そこからどう抜け出そうかとアイデアと機知を存分に働かせ、粘って努力したのです。じつは、私の母も、その一人でした。

この苦労を背負う母親が、今回の地震と大津波、そして原発危機によって大量に、そして突如として生み出されました。

これから、ワラを大切にせよという「母の教え」を導く「苦労」が延々と発生することになったのです。

こうなると先人の母の教えは、ワラを味噌に換える粘りを養え、そしてみかんに換えられるアイデアを育てよ、このようになるのではないでしょうか(つづく)。

ゴッホ0715