帰りに、再び大船渡市の中心市街地の惨状を見学しながら撮影もしました。そこには、それこそ戦争後の廃墟のような残骸が残されているのみでしたが、どれ一つとして無事なものはなく、完全に津波が飲みこみ、破壊した姿があるのみでした。

再び、何も言えずに、ひたすら眺め、撮影をするのみで、この瓦礫の中を通過していきました。

帰りは、大船渡から陸前高田市に向かいました。運転手のMさんからの勧めもあり、来た時のバイパスを通らずに陸前高田市の旧市街地まで降りて、被災の状況を見て行くことしました。

大船渡との境界の峠から、その市街地が見下ろすことができ、それが徐々に近づいてくるにしたがって、思わず、目を奪われてしまいました。

右手に、よくテレビに出てきた5階建てのアパートがあり、その4回までは、津波によって、中身がすべて流されており、その高さが10数メートルに及んだ跡が示されていました。

これを過ぎると、左手に野球場がありました。ここは、ほとんどすべてが海の中にあり、水面から見ていたのは、ごく一部の観客席の上部と照明等の残骸のみでした。

それを過ぎると道の駅だったコンクリート構造物の骨組みだけが残っており、近づくと「捜査終了」の札がかけられていました。

辺りには、この道の駅の商品だったのでしょうか、小さな瓶詰めも落ちていました。

それから、わずかに残っていた家も、そのほとんどが、ペンキで「こわす」という文字が記入されていて、それこそ360度の全域にわたって、なにもない世界がありました。

震災前は、この道路を挟んで中心街があり、にぎわったところだったそうですが、それが何にもなくなってしまっていました。

あるのは、茶色の瓦礫の山と奥の方まで入り込んだ海水、そして、黒っぽい色の土のみであり、荒野と化した海辺の廃墟があるのみでした。

そして、この広大な旧市街地に、誰も人はおらず、わずかにブルトーザーが2、3台動いているのみでした。

ここで、青森から帰る途中の方々と立ち話をし、かつて山口の大学病院のおられたとのことでしたが、このお二人がいるのが異様に思えるほど人がいない海辺の被災地がありました。

車は、気仙大橋が通行止めになっていましたので、再び、気仙川沿いに上流に向かって遡上し、この川沿いの瓦礫の山(高さは30mを超える巨大なものであった)や破壊された残骸を見ることができました。

このように、今回の津波は、市街地のほとんどを破壊し、根こそぎ奪ってしまったことに特徴があり、その凄まじい現実を見せつけられたと思いました。

ここから、何を考え、何を生み出すのか、夕闇せまる陸前高田市の被災地で、深く考えさせていただきました(この稿おわり)。

陸前高田市ー1
4回以下が破壊されたアパート(陸前高田市)