大船渡では、「光潮荘」という「下宿」に逗留することになりました。一関高専のS先生を通じて地元新聞社の「東海新報社」に依頼がなされ、その紹介で、なんとか宿舎を確保することができました。

大船渡湾の湾口を臨む高台に、この高潮がありました。その湾口には、かつて、数十メートルの高さの湾口堤防がありましたが、これが、今回の津波で完全に破壊されました。すさまじい力が働いた結果といえます。

さて、到着後の最初の問題は、どこで装置の組み立て作業を行うかでした。現地の海岸は、地震による地盤沈下のために、約1mも下がっていて、海に浸かりますので作業ができません。

漁協のそばにも収納するところがなく、結局、この光潮荘にお願いし、快く倉庫をお借りすることができました。当初は駐車場を借りて作業をする予定であり、あいにく雨が降り始めましたので、そこですと濡れながらの作業をするところでした。

世の中には、困ったときに助けてくださる方もいるもんだと思いましたが、このご主人ともども非常に好意的な方で、夜は一種に仲良く話をする仲になりました。

また、うれしいことに、今回の作業に援軍が続々と到着してきました。まずは、運転をしてくださったMさん、かつては、塩釜で水産物の商売をなされていた方です。

それから、はるばる山口県から中堅企業のKコーポレーションの社員2名、そして地元一関高専から大船渡出身のCさん、Cさんは技術職員の責任者をなされていて、気は優しくて力持ちの方でした。

こうして私どものスタッフを入れて、総勢6名が勢ぞろいしましたので一気に組み立て作業が進むことになりました。

「これを二人だけでやっていたら、夜も眠れず大変なことになっていた」

これは、私のスタッフの一人が述べていた本音の感想でしたが、私もそう思いました。

さらに、我が国を代表する放送会社のカメラマンが、この光潮荘に到着するのを待ち構えて撮影し、この作業の逐一も丁寧に取材されていました。

私も、この作業場となった倉庫のなかでのインタビューを受けました。このHさん、前回の取材においても担当していただいたカメラマンです。今回の大震災においては、ヘリコプターに乗って撮影をし続けたすご腕のカメラマンです。

ところで、今回のマイクロバブル発生装置は104機、これまでの装置の数倍の規模です。それから、それを小型のポンプに搭載させましたので、非常にコンパクトで軽量化されています。

これは、これまで未公開の装置ですので、おそらく、少なくないみなさんが注目されることでしょう。被災地ですから、可能な限りポンプを小さくし、そしてマイクロバブル発生装置も小型化し、その数を増やして配備した、ここに本装置の特徴があります。

しかし、それだけ、マイクロバブル発生装置の数が多いと、その作業も多くなり、複雑になります。

このマイクロバブル発生装置をポンプヘッダーに取り付ける作業が最初の山場であり、その大半を一日目で配備し、2日目の本日は、それと結ぶチューブ、空気ヘッダーとの接続などを済ませました。

この6人の力を合わせた作業力で、装置配備の作業は順調に推移していきました。

「このみなさんの支援がなければ、徹夜の連続であったかもしれない。まことにありがたいことだ」

夜、床の中で振り返りながら、この感謝の念でいっぱいになりました。

こうして、大船渡の二日目も頼もしく準備作業を進めることができました(つづく)。