台風一過、透き通った秋空が見えてきました。台風12号、15号とたくさんの雨が降り、甚大な被害がもたらされました。また、奈良県と和歌山県では、土砂ダムの決壊の恐れが増して油断できない状況が続いています。

この災害の様子を俯瞰しますと、まさに「災害列島」、このかつていわれた用語がふさわしい様相が目の前にあります。

戦後すぐは、比較的大きな台風が何度も襲来し、大きな河川が氾濫して、大水害がもたらされました。

戦争で国土が荒れ果て、そこに巨大な台風が頻発したことで、その災害が拡大していったのですが、近頃の毎年のように起こる災害をみていると、その再来かと思われるほどの甚大さが指摘されます。

さて、その大災害の特徴は、集中的な大量の降雨にあります。限られた地域に、集中して大量に雨が降るのに対し、その対策が講じられていない、ここに問題の重要な本質があります。

たしかに、その雨の降り方が変わってきて、それが集中豪雨であれ、台風であれ、短期的な集中によって災害がもたらされるようになったのです。

先日のテレビでも、1時間に50mm以上の降雨があった場合には、都心での対応が取れないということがしきりに強調されていました。

この1時間に50mmという雨は大変な雨であり、それこそバケツをひっくり返したような雨です。

集中豪雨としては、30年以上も前のことですが、長崎の中心街が破壊されたことを思い出します。この時にいわれたことが、3日間で100mmという豪雨が、その目安だといわれていました。

100mm以上の降雨になると大水害が起こると指摘されていました。ところが、昨今の、そして今回の台風では、300mm、400mmが珍しくなく、明らかに、その短期集中型の降雨の振り方が変わってきているのです。

そのために、深層崩壊、土砂ダムの形成、仮設住宅からの避難など、次々に新しい現象が起きて、それらは「現代の災害」にふさわし様相を呈し始めているのです。

思い起こせば、地元山口県においても、昨年、一昨年と甚大な水害が発生しました。前者においては厚狭川の氾濫、後者においては防府地区の土石流災害でした。

一見すると、このような大災害の起こりようがない場所で、実際に「起きてしまう」のが、現実なのです。

そこで、なぜ、このように大災害が頻発するか、この問題をきちんと考えてみる必要があります(つづく)。

ゴッホからす