先日、桑田佳祐さんの東日本大震災支援コンサートを拝見することができました。コンサートのテーマは、「明日へのマーチ」であり、同名の新曲も披露されていました。

その歌詞は、次のようなものでした。

遥かなる青い空 どこまでも続く道

希望胸に歩いてた あの夏の頃

思えば恋しや 忘れがたき故郷

願うは遠くで 生きる人の幸せ

風吹く杜 君住む町

彼の生まれ故郷は被災を受けた仙台市、大病を患った後での4年ぶりのコンサートに用意された特別の歌でした。

いいこともつらいことも それなりにあったけど

野も山も越えていこう 明日へのフレー、フレー!

一見、それとなくいいながら、彼独特のさらりとした曲調で、丁寧に、しかも、執拗に唄いかける姿が、聞く人々に共感と感動を与えるのですね。

私のように歳をとって若者ではなくなりますと、このような感覚の歌をすぐには理解できないといいましょうか、なかなか「乗れない」というのが、これまででした。

ところが、先日、試験の採点をしているときに、この歌を聞かせていただき、その事情が一変しました。

じつは、この採点時にいつも中断が多く、その度に気を取り戻しては採点をする、それを繰り返すのです。ある意味で単調な作業の繰り返しですから、長続きがしないのです。

それを解消するために、そういえば、桑田さんの「ライブコンサート」を録画していたことを思い出し、それを聞いたところ、いつもと違って、楽しい気分が湧いてきました。

どういうわけか、「クワタのノリ」で採点をどんどん進めることができたのです。

「これはすばらしい、彼の歌には、ヒトをひきつける何かがあるのだ」ということを知ることができました。

それから、何度も、繰り返し、このコンサートの歌を聴き直したところ、今度は頭の中に、その歌のフレーズが残るようになりました。

「これが、彼の歌の魅力なのか」と、ようやく、その大切な部分を理解し始めました。

夕暮れにかすむ空 見上げれば十五夜月

黄昏に色づく宵待ちの花

彼独時の誌的な美しい表現がなされ、これが次の愛しい人へのメッセージとなっていきます。

夢にも寄り添う 愛しい人の面影

もう一度逢えたら あるがままの姿で

涙の川 溢る想い

地震や津波で、苦しむことがあったけど、そして何もかも流され、無くしてしまったけれど、でも、愛しい人への思いは変わらない、それこそ、もっとも強い希望であり、そのために、「フレー、フレー」とエールを贈るのです。

子供らが笑う時、新しい朝が来る

希望胸に歩き出す 足音よフレー、フレー

この愛しい人への想いが成し遂げられたのでしょうか、新たな展開として、子供たちの希望に満ちた足音に、再び、フレー、フレーとエールを贈ります。たしかに、地震や津波のことを知らない赤ちゃんも生まれてきて、その純粋無垢の歩みが人々を鼓舞するようになるのだと思います。

想えば恋しいや 忘れがたき故郷

芽生えよ かの地に 命の火を絶やさず

輝く海 美しい街 oh~

そして、最後には、忘れがたき故郷で、命の火を絶やすな、その故郷には、輝く海があり、美しい街並みがある、たとえ、それが失われても、今度はもっと美しく作り直すことができる、この希望を高らかに唄った姿は素晴らしいものでした。

この人の歌には、このようにしっかり考え抜いた論理があり、それを彼独特のメロディーで唄うのですから、それが若い人々の心を惹きつけるのだと思います。

しかも、この歌はコンサートのテーマになっているにも関わらず、なかほどで、何の詳しい説明もなされないまま、さらりと「新曲です。聴いてください」とだけ語られ、唄われたのです。これも彼の素晴らしい演出であり、それがかえって光彩を放つことになり、「さすが」と思いました。

またこのコンサートでは、自分の大病の経験のことも素直に語られ、その病名を「キャンサー オブ ダイニングキッチン」といって笑わせ、そこからの復活も込めたコンサートであることを堂々と述べられていました。

そして、あれだけ大勢の観客を参加型にし、こころを一つにして歌い続ける力にも素晴らしいものを感じ取りました。

彼の「命」をかけたコンサートだったのだと思いました。

このコンサート終了後に、大勢の観客のみなさんが、「元気をもらった」と口々に語られていたことをとても印象深く感じました。

「おみごと、桑田さん、フレー、フレー、クワター!」

「明日へのマーチ」、これからも、被災地の隅々で高らかに響くとよいですね(つづく)。


Oohunato-111

宵待ちの大船渡湾蛸の浦、海には希望のマイクロバブル発生装置の「浮き」が見える(YO氏撮影、2011年9月27日)