本日で1300回の記念を迎えることになりました。その記念のブログ記事を認めさせていただきます。
新聞記事によれば、宮城県でカキの出荷が開始されたそうで、大変喜ばしいことです。しかし、その数は例年の一割程度しかなく、本格的な復興には程遠い状態とのようです。
それでも、この出荷を、これからの希望の一つにしていただければ幸いに思います。どうか、関係者のみなさまには、これを糧にして、今後も元気よく、ご尽力くださりますようによろしくお願いいたします。
さて、この記念に際し、そのタイトルを「光マイクロバブルの旅路」とさせていただきました。
すでに、ここで何度も解説してきたように、マイクロバブルは発光します。
自らが発光するほどのエネルギーを有しますので、マイクロバブルとは、「不思議」で、「途方もない」物質であるといえます。
そこで、このマイクロバブルを「光マイクロバブル」と呼ぶことにしました。また、この発光はマイクロバブルの重要な本牲(本質的性質)といえますので、逆に、光を発しない気泡は単なる泡でしかなく、マイクロバブルでもないともいえそうです。
さて、これから、この用語に因んだ「旅路」を記すわけですから、その内容は、できる限り、それにふさわしいものでありたいと思っています。
実際には、車寅次郎さんではありませんが、まことに「反省の日々」の多くを過ごさせていただいているのが現実でしかなく、本記事における「旅路」もできるだけの彩を放っことができるとよいなと思っております。
そこで、せっかくの1300回ですから、この間を少し振り返ることにしましょう。
最初のきっかけは、K高専のI教授から、「ブログ」なるものがあると紹介を受けたことでした。彼も、それを始めるとかで、電車の中でしたが、とにかく熱心に勧められた記憶があります。
どういうわけか、すぐに人に左右されやすい性質があり、そのブログとやらを始めてみようかと思いました。
その心が傾いた真面目な理由は、次の2つにありました。
①マイクロバブルが広い分野で、しかも確実に広がり始めていましたので、その本質を正しく理解していただくことが非常に重要だと思っていたことです。
②2006年に拙著『マイクロバブルのすべて』を世に問い、その内容がマイクロバブルに関心を持っていただいた少くない方々に読まれ、理解されていました。その後を、本ブログで引き継ぎ、マイクロバブル研究の実際を、世に問いながら、その都度理解していただくことが何よりも重要だと考えるようになりました。
こうして、本ブログの執筆が開始されたのですが、当初は、「ブログにしては長すぎる」、「毎日は絶対書けない」、「すぐに止めてしまう」などの意見が寄せられたこともありました。
そのうち、このブログの影響がやや広がったからでしょうか、そのような意見は自然になくなり、「読んでいますよ」、「よくあれだけ書けますね」、「これからもおもしろい記事を書いてください」、「これを読むとあなたの動きや考えがよくわかります」などの意見が寄せられるようになりました。
「ブログの読者を増やしたいなら毎日書け、それしかない」、このI先生の言葉を信じ、私としては珍しく、ここまで書き進めることができました。
おかげで、本ブログを愛読されている方々が徐々に増え、本日までのアクセス数は13万件を超えました。その愛読者のみなさまに、この場を借りて厚く御礼申し上げます。
これに関係して、次の2つのエピソードを紹介させていただきます。
その第1は、日本を代表する計測機メーカーのエンジニアが、次のようにいって来られたことです。
「先生に私どもの装置を愛用、かつ駆使していただいてありがとうございます。そのこともあり、いろいろなところに装置を持っていって直に先生方と話をさせていただいております。
そのとき、私の方から先に先生の話をすることはないのですが、必ずといってよいほど、先生の話が先方から出てきます。
不思議なほどによく出てくるので、じつはいつも吃驚しているのです」
これに似た話は、これまでもよく聞いてきましたが、その理由のひとつには、このブログの広がりがあるのではないかと思っています。
それから、本ブログの記事が参考になり、マイクロバブルに関するちょっとした論争があちこちで起きていますが、これもありがたいことだと思っています。
これからも、そのような熱い議論を大いに戦わせていただきたいと思います。
第2は、私の関係者とその友人の会話に関することです。この友人は、ある大手企業の若手社員で、「世の中のおもしろい技術を調べ発表せよ」といわれたそうです。
何かおもしろい技術はないかと、ネットを探していたらマイクロバブルに出会ったそうです。そして本旅日記を探し出し、それを参考にしてマイクロバブルのことを発表したら、とても好評だったとのことでした。
「マイクロバブルって、すごいね」と、うれしく私の関係者に話をされていたようで、その彼が私との関係を紹介すると、その若手社員は、自分が一生懸命に調べて発表した「旅日記」の執筆者が、こんなに身近にいたのかと、本当に吃驚されていたそうです。
このような話を聞かせていただけますと、ここまで寸暇を惜しんで書き進めてきたかいもあったのかなと、自然に心がなごんできますね(つづく)。
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