昨日、教え子で、本ブログの愛読者のMさんからメイルをいただきました。

彼は、マイクロバブル関連の情報を集めていたところ、「オープンネット」の「実況中継」なるものに出会ったそうです。

「ここまで来たのなら、家のことを書かせていただこう!」、こう思い始めました。

「オープンネット」は、米子高専出身の山中省吾さんが開発した手法です。

「価格の見える家づくり」という著書にもあるように、建築の設計者と各種工事を行う業者さんが直接契約をすることで家づくりを行うシステムを有していることに特徴があります。

なにせ、存分に考えて、好きなように家の設計ができるのですから、しかも価格が見えて安くできるのですから、こんなよい方法はありません。つくづく、そう思います。

山中さんとは、高専卒の方々の集まり(HNK)を通じて知り合いになり、とても優れた高専卒の方だと認識していました。

また、山中さんは、HNKの当時の代表者でしたIさん(東京大学)とも親しく、その彼女とも交流ができるようになり、私がある学会の会長時代には、記念講演をお願いしたこともありました。

「なんでもよいから、自らを振り返って、その波乱万丈の人生のことを語ってください」

こうお願いしたら、その通りの講演をしてくださり、その途中で込み上げてきて涙の講演をなさった方で、今でも、その時の感動は鮮やかに脳裏に刻まれています。

今振り返っても、山中さんともども、とても素敵な方でした。

そのころから、山中さんとも話をするようになり、山中設計を訪問したこともあり、オープンネットの全国集会に呼ばれて感激したこともありました。

そして、「家を建てる時には、彼に依頼しよう!」、こう思うようになっていました。

しかし、一方で、相変わらずの官舎住まいで、奇妙奇天烈にも、最初に入った官舎には、十数年ぶりに、その同じ場所に入り直すということまで行って、その現在を迎えています。

みな若いころに家を建て、我が家から出勤をする、このパターンがほとんどです。しかし、私は、それに従いませんでした。

その理由は、次の2つにありました。

①研究を取るか、家を建てるか、この選択に迫られ、私は前者を選びました。当時は、給料も少なく、研究をするのであれば、そこにつぎ込むべきである、これが私の頭を支配していました。

とくに、学会出張の折には、同僚の二人とともに出かけることが少なくなく、なにかと支出が多いのを常としていました。

「家を建てるよりも、研究活動につぎ込んだ方がよい」

このように家内にいって納得してもらったことが幾度もありました。その頃は若かったので、年に数度の学会発表を行い、自らを鼓舞するとともに刺激を受けていました。

あの頃は新幹線のなかに食堂車があり、私は、そこが大好きで、よく食事をしながら、研究のことにつて楽しく語り合ったことを思い出します。

一方、職場では、家を建てた、改築をしたなどの会話を聞いたこともありましたが、「わが道をいく」と決めていましたので、その家のことは少しも気になりませんでした。

それに、官舎は結構広く、隙間風で冬は寒い、それに大きな百足が出ることもありましたが、両親を含めて8人という大家族のなかでにぎやかに過ごすこともできて、とてもよいところでした。

②次は、子供たちが徐々に成長し、それとともに家を建てるほどの余裕はない、と思い始めたことでした。そして、4人の子供たちにも、それなりにいろいろな事情がありましたが、大学と大学院を無事卒業することができました。

私の大学時代の先生も、子供が3人おられ、しかも3人の年子でしたので、3人大学生という時代があり、その頃、「仕送りで給料がほとんどなくなった」と、うれしそうにいわれていました。

それと同じことが、我が家ではより大規模に長く続いたのでした。

ですから、いつの間にか家を建てることは頭の中から消え去り、「山中さん」のことも忘れてしまっていました。

「官舎でも快適ではないか、春には大きな桜の木に花が咲いて、みごとな花実ができ、夏は紫陽花の後に、蝉がうるさく鳴き、子供たちの夏休みの宿題にも役立った。

秋は、落ち葉を踏まえてしんみりと考えることができ、冬には炬燵を庭まで出して焼き肉パーティーを開くことができた!」

こういう具合で、官舎とともに、その人生を過ごしてきたのでした。

しかし、そのような官舎暮らしも終わりになりかけてきましたので、家を建てることを決めたのが約2年前のことでした。

幸い、父と母が残してくれた土地がありましたので、そこに建てようかと思って、その地元の市役所に尋ねたところ、そこには家を建てられませんという返事がありました。

その土地の周囲には道路がなく、建築基準法を満たさないという説明でした。

これで、家づくりは中断、「それではどうしようか?」と思案を続けていました(つづく)。

ゴッホ家