「俺が、たしかに倒した小次郎が死んでいない? そんなはずはない。 あの時に、俺は小次郎の脳天に渾身一滴の一撃を与えた。その一撃の音? たしかに、いつもの、ぐさっという音ではなかった。
小次郎のツバメ返しの剣を咄嗟に逃れるために、あの時、左手を前に出した。その分剣が軽くなったが、それは仕方なかった。
左手を前に動かさなかったら、私の腕が切り落とされていた。しかし、その分だけ、打ち下ろす剣の速度が増して、小次郎よりも早く、剣を打ち下ろすことができたのだ!
このわずかな速度の差が勝負を決めたのかもしれない、危うかった。しかし、その一撃で、俺は小次郎を倒した。たしかに倒したのだ!」
「そうじゃよ、そこまでは、お前の言うとおりだ!まちがいはない。しかし、お前は、その後の小次郎がどうなったかを知らない、確かめてはいない。そうであろうが・・・・・」
「たしかに、その通りだ。俺は小次郎を倒したが、死んだかどうかまでは確かめていない。なぜだ、なぜ、お前は、そんなことをいうのだ!」
「とうとう認めたな、そうであろうが・・・・・」
「なぜ、白猿のお前が、なぜ、そんなことを知っているのか? ひょっとして、小次郎は生きているのか? 聞かせてくれ!」
「やっと、素直になったな、それでよい。お前も、これで楽になれる!」
「おい、お前は誰だ。小次郎のことをどうして知っているのか?」
「ただの、白猿じゃ!」
しずかに、こういって白猿は、武蔵の目の前から消えていきました。
「おい、待ってくれ、小四郎は、今、どうしているのか? 教えてくれ!」
「小次郎のこと? それは、自分で・・・・」
もう、目の前には、先ほどの白猿はおらず、暗闇だけがありました。
「今のは何であったのか?」
武蔵は、必死で白猿のこと思い出そうとしていました。
「もういなくなったのか」
武蔵は、お湯の中で、しばらく茫然としたままでした。温泉のなかには、相変わらず白い泡が出続けていて、ここちよさが残ったままでした。
「小次郎は生きていたのか、そうとは知らず、おろかな戦いをしたことを後悔し続けてきた。あれほどの若き武士、小次郎を倒して殺してしまうことはすべきではなかった。
もともと、雌雄を決する戦いが愚かなことだったのだ」
武蔵は、冷たくなっていた上半身をお湯の中に沈め、そのここちよさをより存分に味わおうと思いました。
「ここちよい、よい温泉だ! それにしても、この白い泡は何であろうか? そして、あの白い猿は何者か?」
空を見上げれば、十五夜月がきれいに輝いていました(つづく)。
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