K1殿 お互いに歳を取ると意外なことが起こってしまいますね.

同じように転んで顔を怪我し,そしてマイクロバブルで慌てて治す,これで一件落着となるのですから,これは,相当な「マイクロバブル人」同士の物語といえます.

それにしても,大事がなくてよかったですね.

こう書き進めると「何のことか?」と首をかしげる読者の方がおられると思いますので,それを詳しく知りたい方は,昨日の私のブログの彼のコメントをご覧ください.

やはり,私も貴方と同様に「人の子」でした.

このように,転んで怪我をするのは,数年前の阿智村以来ですが,あの時は,昼間でしたので,なんとかなりました.

しかし,今回はまだ暗い朝のうちで,貴方と同様に出血がありましたので少々慌てました.

ただし,私の場合はアルコールを飲んでいませんでしたので,その分出血も少なくて済みました.

それにしても,医者に行かず,マイクロバブルで治療したという同一行動には少々驚きました.

しかし,私の場合は,家内に勧められてのことでした(勧められなくても,そうしていたとは思いますが)ので,その辺はやや事情が異なるようです.

さて,ここで偶然の一致をおもしろがるだけではあまり知恵がありませんので,この災いをどう福に転ずるか,これが大切になります.

この時,私の場合は,学生の前に立たねばならず,そこが最初の関門になります.

以前にも,大きな百足に顔を噛まれたときも同じで,その災難をどう学生に積極的に告げ,一方的に笑われるのを防ぐかを必死で考えました.

「長さ10cmもある百足に,しかも顔を噛まれることはめったにないことである.これは,私に何かよいことが起こることを知らせる合図なのかもしれない」

こういって学生を笑わせることができれば,これは「災いをやや転じた」ことになります.

もちろん,学生たちはげらげらと笑いますので,「これで1本取った!」という気分になり,まずは講義の出だしの成功感を味わうことができるのです.

今回も,その「笑いの教室」の再現を狙い,ほぼ,その目標を達成することができました.その意味では,転んで顔の傷ができたことが幸いした,こういえます.

しかし,これは,あくまでも「先手」のみのことであり,その成功が,それからも長く続くわけではありません.そうなると「転じて福」までには至らない,これが世間の常識というものです.

そこで,この「福」に関することが,どう起こるのか,それを楽しみにしていましたら,倉本聰氏のインタビューの最後の言葉で,映画『素晴らしき哉,人生』のことを知りました.

こうなると,こちらも電光石火の早業でアマゾンに,そのDVDを注文し,それを観て,そのあまり,ブログ記事を書くのを忘れてしまうほどに,すなわち,その映画の虜になってしまいました.

主演ジェイムズ・スチュアート,監督フランク・キャプラの名コンビが,それこそ素晴らしいクリスマスイブの物語を演じていました.

この映画の素晴らしさは,その最後のクリスマスイブのシーンのために,じつに巧妙なシーンを次々に組み合わせていった「シナリオ」にあります.

その幸福で喜びに満ちたラストシーンを設定するために,それとは真反対の事情と理由を並べていき,その最悪の事態を招くという盛り上がりに導かれます.

しかし,その寸前で,主人公は最悪の事態から脱出し,「素晴らしき哉,人生」を手にすることができるのです.

この映画では,最初と最後に,鐘が鳴らされるシーンがあります.この鐘が鳴ることは,天使が自ら翼を持つことができたことを示したものだという「言い伝え」があるようで,それがもう一つのテーマになっていました.

この映画に登場した天使は,なかなか要領がよくなく,もう200年も翼を持つことを待たされていたそうで,「人々を幸福にする」という本来の天使の仕事ができていませんでした.

翼を持たない天使ですから,彼は,天使予備軍でしかなかったのです.

世の中には,このように修業が必要とされる方が大勢おられるのでしょうね.私も思い起こせば,なにか,そのような時期があったように思います.

さて,このラストシーン,金貸しの意地悪にも屈することなく,周囲の名もなき,そして貧しき民衆の方々に助けられ,みごとに立ち直ります.そして,クリスマスイブの鐘が鳴り始めるのです.

さすが,倉本聰さんが推薦されるだけの映画だけあるなと感心しました.K1さんは,この映画を観られたことがありますか.教え子のMさんはいかがですか?

この「素晴らしき哉,人生」に出会えたことで,「災いを転じて福となす」の次のステップに進むことができました.

いまだ,ささやかな「福」でしかありませんが,次は,どんな「福」が待っているのでしょうか.そう考えると,なんだかわくわくしそうですね(つづく).

Gohho-222