「災いを転じて福となす」、日本人が好きな諺(ことわざ)のひとつです。

この諺に因んだ最近の話を紹介してきました。この場合、災いは、暗いうちから出かけた散歩の途中で思わず転び、手足と顔を道路にぶっつけて血を流したという話です。

同じころ、K1さんは、はるか東京の地で、ワインを持って転び、同じように血を流されたそうです。

ワインといえば、ドイツに初めて行ったときに、キオスクでラインヘッセンのワインを2本買った思い出があります。確か、4マルク(320円)ぐらいだったと思います。

このワインのほかにパンも買いましたので、じつは大変困ってしまいました。ドイツのキオスクでは袋はありませんでしたので、裸のワインボトル2本とパンをどうやって宿舎まで持って帰るか、これに困ってしまったのでした。

まさか、日本人が見知らぬ土地で、大きなワインボトルを両手にぶら下げて街を歩くわけにはいかない、パンの袋もある、どうしようか、キオスクの前でしばらく考えたあげく、ワインボトルは、背広の両ポケットに入れて帰ることにしました。

このとき、ワインボトルがえらく重いなと感じていました。

「1本でよかったのに、2本も買ってしまって、どうやって持って帰るかも考えていなかった。やれやれ!」

しかし、買った以上、それを捨てるわけにもいかず、なんとか、宿舎まで持って帰ることができました。

しかし、この時の買い物は、このパンとワインだけ、まさか、ポケットにワインボトルを入れてスーパーや店に立ち寄ることもできずに、その夜の食事は、これだけで我慢することになりました。

こうなったら、頼みの綱はワインだけですから、それをいただくことに明日の望みを託しました。なにせ、駅から苦労して運んだワインですから、それだけの望みを託しても十分に価値ある代物でした。

ところが、そのワインを飲もうとして、またまた、困ってしまいました。その宿舎にはワインオープナーがなかったのです。

ホテルではないので、当然のことながら、その類は何もなく、そして私には、それを明日まで待って買いに行く余裕などありませんでした。

しばらく、ワインをうらめしそうに眺めながら、どうしようかと思案をしていたところ、「なんだ、簡単なことだ!」と、ひらめきました。

ワインボトルのコルクを押して下げれば飲めるようになるではないか、どうしてもっと早く気がつかなかったのか、と後悔しながら、しかし、すでにその時の私は、ワインのコルクをここぞとばかりに押していました。

無事、その作業を完了して飲んだワインの美味しかったこと、「ワインとは、こんなに美味しい飲み物だったのか」と、それこそ驚嘆して、一気に元気になりました。

わずか、320円のラインヘッセンのワインで、こんな豊かな気分になれるのか、だれもいない宿舎の一部屋で、なぜか、幸福になった一夜のことが今でも鮮明に思い出されます。

因みに、その夜は、ワインボトルの半分ぐらいは飲んだでしょうか、それからは、このワインがしばらくあり、単身赴任の外国の夜の寂しさを紛らわすことができました。

もちろん、これが契機になり、私がワイン好きになったのはいうまでもありません。なにせ、この国では、ビールよりも安くて格別に美味しいのですから、それは自然のことでした。

それにしても、わが国では、このようなワインを見かけたことがありませんが、それはどういうわけでしょうか。

ワインに因んで、やや前置きが長くなりました。ワインの次は、学生の前で、私の不幸を積極的に情報開示して「笑いの教室」をつくったことで、まず、「災い」を転じることに成功させていただきました。

この場合、この転化にかなり知恵を使いましたので、私の頭の中もややハイテンションになってきて、その次の「福」、すなわち、最初の「幸福」を模索し始めました。

そしたら、フランク・キャプラ監督の映画「素晴らしき哉、人生」に遭遇しました。この最後のどんでん返しに感動し、クリスマスイブに鳴る鐘のことが強く印象付けられました。

また、これは、マーク・ツゥエインの言葉のようで、そのことが映画の中でも語られていました。

 「何事にも訓練が大切だ。桃も昔は苦いアーモンドだった。カリフラワーも大学教育を受けたキャベツに過ぎない」

これは彼の格言の一つですが、天使も翼を得るためには、辛い修業が必要だったので、これは人間の世界においても同じことなのですね。

この修業とともに、フランク・キャプラとジェイムス・スチュアートのコンビが演出したクリスマスイブの大逆転のシーンに感動して、これは、何かに似ているなと思いました。

そのご想像は、読者のみなさまにお任せしますが、この『素晴らしき哉、人生』で終わってしまっては、「福となす階段」をわずか一段しか上ったことにしかすぎませんので、このコンビの映画を探索してみました。

そしたら、『スミス都へ行く』という映画がありました。これは、若きスミス青年が、上院議員になり、ワシントンに行って孤軍奮闘する物語でした。

上記の格言に依拠すれば、ほとんどアーモンドやキャベツの議員ばかりしかいない、どこかの国の議員たちですが、それらの方々に、ぜひ、この映画を観ていただきたいと思いました。

これが、福となすための第二のステップでした。この2つの映画のDVDの代金は、1000円以下でしたので、とても安くして、この2つの階段を上ることができましたが、なんだか申し訳ない安さで恐縮してばかりでした。

そこで、いよいよ3つ目の階段を上がることができるかどうか、これが試されることになりました。これは、本日の記事の副題にもあるように、「わらしべ王子」に関係することでした。

この件は、以前に本ブログ記事で触れて、そのままになっていましたが、いよいよ、その時期が訪れてきたと思うようになりました(つづく)。

陸前高田野球場

今も海に沈んだままの陸前高田市野球場、筆者撮影、2011年9月5日