「わらしべ王子」については、諸説いろいろあるようですので、沖縄民話の「わらしべ王子」に依拠して考察を進めることにしましょう。また、そのために「わらしべ皇子」を「わらしべ王子」に訂正させていただきます。

さて、物語の発端は、この「わらしべ」にありますが、そのわらを、亡き父親がとても大切にしていたとして、母親が亡くなる前に、その息子の「たろう」に渡します。

父親が大切にしていたものだから、その母親も大切にしなさいといい、それが両親の遺言になりました。

わらとて、とても大切なものだから、それをどう使ったらよいか、おそらく、息子のたろうは、あれこれと考えたはずです。

そして母親も亡くし、息子は、そのわらを大切に持って旅に出ます。

その旅の途中で嵐にになり、芭蕉の木が風で倒れそうになっていて、それを、あるおじいさんが必死で止めていました。

ご周知のように、芭蕉は、背が高くて葉っぱが大きい木であり、風にはとても弱い木でした。しかし、この葉っぱで布を織ることもでき、いろいろなものを包むこともできましたので、とても貴重なものだったのです。

それゆえに、風で倒れて折れてしまってはいけない木だから、おじいさんが必死で倒れないように尽力していました。

そのとき、彼は、そのおじいさんの様子を見て、芭蕉をワラで杭に結うことで、この危機を救います。

とても大切なわらを、そのおじいさんのために惜しげもなく使い、おじいさんの困難を見事解決することができたのです。

おじいさんは、このたろうの行動に感動し、その芭蕉の大きな葉っぱを1枚、彼にお礼として与えます。

この時点で、「わらしべ」が「芭蕉の葉」1枚に交換されたわけです。与えた方のおじいさんは、わらよりも、この芭蕉の葉の方が価値があると思って、それを与えたにちがいありません。

しかし、この時点でもらった、たろうの方は、その芭蕉の価値がどう理解していたかは定かではありませんでした。

その意味で、「わらよりは、よいかもしれない、程度の理解に留まっていたのかもしれません。

今度は、雨がさらに降ってきて、味噌樽をかるったおじさんが通りかかりました。その樽のなかの味噌には何も覆いがなかったので、たろうは、その芭蕉の葉の一部を味噌樽の上にかぶせるようにいいます。

雨で味噌が台無しになってしまってはいけないという配慮からでした。その配慮に、おじさんはとても喜び、残りの芭蕉の葉をさらにもらって、お礼にと、その葉っぱで味噌を包んで、たろうに与えたのでした。

ここでは、味噌樽を担いだおじさん、味噌をもらったたろうの両方に、よいことが起こりました。今風にいえば、WIN・WINの関係が生まれたのでした。

しかし、このWIN・WINは、双方にとってよりよい程度の効果でしかなく、いわゆる「改良」の段階に留まるものでした。

たろうにとっては、芭蕉の葉っぱよりは、味噌の方がよい、食べ物であるから助かる、というレベルのものでした。

ところが、この味噌から、次の段階において飛躍的な展開が発生するのです。その意味で、この過程は、ホップ(わら)、ステップ(芭蕉の葉)からジャンプ(味噌)を迎えるのです。

この第三過程の味噌の効果は抜群で、ここで、質的にも量的にも異なる本質的発展を遂げるようになったのです。

その味噌の飛躍的効果が、目の見えない娘と出会い、彼女が胡弓を奏でていて、それを聞いた後に発揮されます。

たろうは味噌を持っていて、娘の「こみこ」は、おにぎりを持っていました。このおにぎりに味噌をつけて互いに食べ合っているときに、思わぬことが起こります。

こみこにとっては、口にいれた味噌があまりにも辛すぎて、つまり、大変な身体的刺激となったあまりに、それまで見えなかった目が見えるようになったのです。

これは、胡椒の辛さが刺激となって神経に伝達され、そこから重要な神経伝達あるいは体内物質が生成され、その結果として汗がでるという知覚神経刺激の効果とよく似ています。

この場合、その原本には、味噌が辛かったという表現しかなされていませんが、その辛さとは、塩のせいなのか、それとも胡椒のせいなのか、あるいは、他の辛さなのかの判別ができません。

しかし、これらの辛さがいくつかの神経刺激となり、目の前の「たろう」の姿を見たいという欲求と重なったのではないかと思われます。

ここまでくると、わらが、目を開けさせるまでになるのですから、質的に重要な変化を起こしたといえます(つづく)。

MR900432726