さて、例によって前置きの引用が長くなりましたが、この場合、わら、嵐、芭蕉、雨、味噌という連鎖における反応が起こり、見えなかった目が開いて見えるようになるという素晴らしいことが起きました。

そこで、この連鎖反応を、私どもの東日本大震災支援プログラムに適用してみますと、次のようになります。

大地震と津波の発生、被災、東日本大震災支援プログラムの公募、申請、採択、装置設計、設置、マイクロバブルの大量発生、カキの成長、新しいカキ出現

これらが上記の連鎖と一致するとなりますと、問題は、そのカキの出現で、見えなかった目が見えるようになるほど、あるいはそれと同等の「驚愕現象」が起こらなければなりません。

目が見えるようになった「こみこ」の人生は、その後大きく変わっていきますので、少なくとも、この新しいカキが、少なくない方々の人生を変えていかなければ、それで等価の交換がなされたとはいえません。

おそらく、この新ガキを食べても、それで見えない目が見えるようになることはないと思います。

しかし、それに匹敵するようなことが起こるかどうかは、このカキが世の中に出て行って、それを賞味されたみなさん方が、どのように判断されるかにかかっているのだと思います。

その意味で、この新ガキは、世の試練を受ける必要があるのです。そして、その世の試練から何が生まれてくるのか、それは簡単に予測できないことですが、今となっては、それを待つしかないのではないかという気がしています。

それから、ワラで芭蕉を縛り付けて、芭蕉が倒れるのを防いだ咄嗟の知恵、味噌樽の上に芭蕉の葉っぱを置いてやったやさしさ、これらにも注目する必要があります。

マイクロバブル技術という知恵で、なんとか、被災地の復興支援をしたい、このような気持ちは、そのたろうの気持ちといくつか重なることがあるような気がしています。

ある時、大船渡本増寺の木村勝行住職に、大津波の大惨事が起こった時の様子をリアルに語っていただいたことがありました。彼は、山の上から呆然としながら、それは、黒い羊羹が押し寄せてくるようだったと述懐されていました。

その彼が、詳しく被災の様子を語った後に、この被災で明確になったことは、被災のことを真剣に受け留める人とそうではない人がはっきり区別されるようになったことだと強調されていました。

これは被災地に限ったことではなく、日本全体にいえることです。その意味で、前者の立場で震災復興をすることが重要であり、この「わらしべ物語」も、そのために存在するのだと思います。

さて、この味噌とカキの物語、次は、どのような展開を迎えるのでしょうか? もちろんは、それは「想定外」のようで、それを簡単に予測することは、1m離れた針の穴に糸を通すことよりもはるかに難しいことのように思われます(つづく)。

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