年の瀬も近づいてきました。今週末には、クリスマスイブ、そして来週には正月を迎えるという師走が過ぎ去っています。

その最中、本ブログが1350回の記念を迎えることができましたので、丁度連載中の「一週間のご無沙汰です」を改題して、その記念の記事へと変更させていただきます。

いつも、この記念を迎える度に思うことは、「よくぞ、ここまで続いてきた」と、その過去の記事を振り返るのですが、今回は、どうやら、その余裕もないようです。

それも師走のせいでしょうか、何かと懸案事項が増えてくるようで、その対応が自転車操業に似てきています。

先日の土曜日、久しぶりにNHKスペシャルの放送を観ることができました。周知のように、これは3.11後に起きた原発事故の、その後を詳しくシミュレーションして振り返るという番組でした。

数々のデータと証言をもとにして番組が作られていますので、大変リアルで説得力のある内容になっていました。

そのなかで、最も重要で印象深かったことは、その事故直後において、原発の制御室および事故対策室において、原子炉内でメルトダウンが起きていることにほとんど気づいていなかったということでした。

最後の頼みの綱の自動冷却装置も一端作動させたにも関わらず、それを途中で止めて、その冷却装置の破壊自身を防ごうとした意図が働いていました。

これに、水位計の読みに関する過誤が加わりました。水位計が徐々に上昇していったことから、原子炉内には水が存在していると誤った判断がなされていました。

その上昇は、原子炉内に水がなくなり、いわゆる空焚き状態になって、その熱の上昇とともに水位計が動いていたことを知らずに、ただ単純に、水位が増えたと間違って判断していたのです。

この水位計の故障に気付いたのは、電気が通っていない状態でも、この水位計の水位が徐々に上がっていっていることを見出したときでした。

ここまでは、水位計の水位のみを信じて運転がなされていました。

その後、電源が一部回復して原子炉の中の圧力や温度がわかるようになって、腰を抜かすほどの空焚き、メルトダウンが起こっている可能性があることに気付きます。

ここで、ベントをしなければ原子炉の圧力容器や格納容器が爆発する恐れがある、この危機的状況に追い込まれていくのです。

さらに、同じような事故が、2号機、3号機にも発生し、どうしてよいかが分からなくなるほど、事故の拡大がなされて、一種の深刻な混乱状態へと移行していきました。

この過程で、いくつかの重要なポイントがあります。

①自動冷却装置の様子を見に行き、その内部が放射能で汚染されていたために引き返して、そのままになってしまったこと、これをどうするかについての検討がしばらくなされなかった。

②水位計の故障を見抜けず、その上昇で、水があると誤って判断していたこと。

③空焚き、メルトダウンの可能性があることをほとんど想定していなかったこと

④現場における判断が一人に委ねられ、これは平時の指揮には有効であっても、今回のような事故と危機には、この指揮方式が通用しなかった。

これらが重なって、実際には最も深刻なメルトダウンという事態へと進んでいったのです。上記のいずれかの時点で、「もしや、空焚き、メルトダウンが起きるかもしれない」、このように想定していれば、実際とは異なる動きになったのでしょうが、それは起こりませんでした。

もうひとつの恐い問題は、このような深刻な状況が進行していたにもかかわらず、それを監督する政府の発表は、「問題ない」、「深刻な事態には至っていない」という楽観的な見解の表明がなされていました。

ここには、正式な情報がどのように伝えられたかの問題があり、それを含めて、まったく正反対のアナウンスがなされていたのですから、これは相当「恐い話」ではないかと思います。

やはり、ここでも、「鋭く、大きな直感」ではない、「鈍く、小さな直観」しか働かなかったようで、これが、事態の急速な収束へと向かわせることには結びつかなかった大元の原因の一つといえるでしょう。

さて、原発内の直観から、こちらの直観へと話を戻すことにしましょう。広島カキ養殖での「鋭いが、大きくない直観」が働いて、そこに何かがあるとひらめいた話の続きです。

その後、いろいろなことがあり、その直観が試されることになりました。また、それは、「頼みの綱はマイクロバブル、それしかない」という思いとどこかで結びついて現れていました。

それが、震災後の東日本大震災支援プログラムに申請するときにも発露してきました。地震と大津波の被害を受け、破壊され尽くされた国土を前にして、何ができるのか、これに、どう立ち向かうのか、という直観が試されることになりました。

当然のことながら、この災禍に立ち向かうには、その直観における、「鋭さと大きさ」が問われることになりました。

具体的には、124件という応募の中から、それが審査されるという現象として起こりました。実際にどう役立ち、それがすぐに実行可能か、何を復興させるのかが問われることになりました。

さらに詳しくいえば、以下の項目が試されることになりました。

①海に関する復興支援であること、この申請テーマがほとんどなかった。

②大型マイクロバブル発生装置、すなわち、マイクロバブル発生装置104機で何をするのか、その効果は期待できるのか。

③過去に実績があり、申請内容を確実に実行することができるのか。

とくに、この③のなかの「過去の実績」があるのかどうかで問題となり、それを調べると、広島湾、噴火湾、英虞湾において、それが積み重ねられているという判断が、どうやらなされたようでした。

この場合、「鋭さと大きさ」についていえば、海の水産養殖復興に関するテーマを選んだこと、そしてマイクロバブル発生装置104機を想定したこと、さらに、被災後の深刻な状況下においても、すぐに実行可能なこと、これらが、他の申請と比較検討されたのだと思います。

いま、振り返れば、マイクロバブル発生装置104機という、従来考えたこともなかった規模で立ち向かうことを考案したこと(広島の場合の約350倍の規模)が、一番重要なことではなかったかと思います。

過去の実績と比較すれば、より鋭く、より大きな直感が働き、それが設計、実装、実験と結びついていったのだと思います。

すでに、その成果の一部については、本ブログにおいても紹介させていただきましたので、ここでは省略させていただきますが、今回は、それを踏まえて、さらなる直観の鋭さ、大きさが再び問われることになりました(つづく)。

Oohunato-224

被災した大船渡の中心市街地(筆者撮影)