この1年、一筋にマイクロバブル研究と普及に邁進する、そのための最小限の拠点を自前でつくる準備を進めてきました。

その場所は、3.11後の状況を踏まえて、大分空港のそばの国東市武蔵町に決めました。ここは、大分県が力を入れて住宅団地を造成していたハイテクニュータウンであり、太陽がさんさんと降り注ぎ、日本の地中海とも呼ばれるところでした。

同時に、1800年前の歴史物が今もなお息づいており、天文学をこよなく愛した三浦梅園が暮らした地でもあります。

魚や野菜が美味しく、そして格段に安い住みやすいところです。

ここに、まことにささやかな規模ですが、マイクロバブルの研究が可能な実験(屋外も含む)および研修を行う空間を設けることにしました。

ここを拠点にしながら、引き続き、近隣の高専や全国的な高専と協力し、連携を深めていきたいと思います。

こうして、残りの1年を思う存分に過ごし、その準備も周到に行おうとしていた矢先に、未曾有の災害である東日本大震災が発生しました。

何もかもが破壊され、流され、そして奪われていきました。多くの命と生活、さらに産業が喪失し、被災地とともに日本中が震撼させられました。

そして、被災地の大船渡本増寺木村勝行住職がいわれた、次の言葉を思い出します。

「大津波は、黒い羊羹が押し寄せてくるようだった。多くのみなさんが亡くなられたのは、海の近くではなく、そこから離れた道路上とその近くであった」

「海水を飲むと眠くなって、車の中で死んだ方々が少なくありませんでした。ですから、絶対に海水を飲んではいけません」

「震災後は、震災のことを真剣に考える人とそうでない人がはっきり区別されるようになりました」

とくに、この最後の言葉が胸の中に深く刻まれました。

「何か支援ができないか」と模索をしている最中、(独)科学技術振興機構が東日本大震災支援プログラムに関する支援の公募していることを知り、急いで、それに応募させていただきました。

幸いにも、この応募においては、やや「鋭い直観」が働き、大型のマイクロバブル装置を大船渡湾に配備し、その水質浄化と水産養殖の復興をめざすプログラムが採択されました。

運命とは不思議なもので、残り1年を存分にマイクロバブル研究に取り組みたいと決めた矢先の出来事となりました(つづく)。

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大船渡湾の宵待ち空(YO氏撮影、2011年9月)