新年の「事始め」として、塩野七生さんのことを調べてみることにしました。

とりあえず、その資料として、次の3つを選びました。

1.NHK『100年インタビュー』、2011年12月放送

2.NHKプレミアムシアター『ユリウス・カエサル』、2010年1月18日放送

3.塩野七生作『ローマ人の物語』Ⅰ~Ⅴ巻

まず、この1を聞いて、この話には重要な内容が含まれていると思いました。

しかし、その内容を深く理解することができずに、何かがあるということだけでした。

その後、2、3回、このインタビューを繰り返し聞きましたが、それでも、よく理解したという気持ちには到達しませんでした。

そのためには、ただテレビを見るだけではだめではないかと思い、3の単行本5冊を注文し、その作品に触れることにしました。

かつて、文庫本を読んだときは、このような思いに至りませんでしたので、何かが違っていたのでしょう。

そして、上記2も録画したままで、あまり意識に残っていませんでした。

折しも、日経新聞の『私の履歴書』で松本幸四郎さんの連載記事が非常におもしろく、今度は、その履歴書の記事を踏まえて、本演劇を観ることにしました。

彼は、お父さんの影響を受けて、それこそ歌舞伎界のクリエーターとして、若いころから数々の演劇に挑戦してきたことを述べていましたが、この積み重ねに裏打ちされたすばらしいカエサルになっていました。

これで3拍子が揃ったわけで、本ブログ記事を書き始める気持ちになりました。

これは、塩野さんが現史料(歴史資料としての当時の原文のこと)をいろいろと調べて、最後には、その歴史的主人公が一人で動きだすまでになると仰られていました。

もしかして、それに多少似ているところまで来たと思い始めていますが、もちろん彼女ほど深入りはできていませんので、その点はご容赦ください。

まず、最初の切り口は、言葉の問題です。塩野さんは、物事がうまくいっているときには、言葉はいならない、言葉が必要になるのは、物事がうまくいかなくなったときであると強調していました。

そして、言葉は説明のためにあるのではなく、人を「たぶらかす」ためにあるというのです。

辞書によれば、「たぶらかす」とは、「人をだまして惑わせる」という意味ですが、戦いの場では、自分を信用させるために、その「殺し文句」が必要だったようで、その殺し文句が、カエサルの中にも随所に現れていました。

その最たるものが、「賽(さい)は投げられた(運命の歯車は回ってしまったという意味)」であり、これは、軍隊を率いて国禁を破ってルビコン川を渡るときの最後の「殺し文句」として発せられます。古代ローマにおいて歴史に残った最も有名な言葉の一つです。

この名言を拝借させていただければ、もしかして、私の「ローマ人の物語」研究、そして、2012年から始まる新しい生活の「賽は投げられた!」のかもしれませんね。

よい意味での「殺し文句」、今年はこれを考えていきたいと思います(つづく)。

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