カエサルの「ちゃらんぽらん」さについては、もう少し、説明を加えた方がよいでしょう。

そう思っていたときに、塩野さん自身によって、次のようにカエサル評がなされていました。

「クリーンでもなければ身持ちもよくなく、野望となれば並はずれており、借財があろうと苦にせず、政治をしても戦闘しても勝ち、民主的にふるまうわけでもないのに支持者に不足せず、そのうえ、これらのすべてを陽気に進めてしまう男(ローマ人の物語V、243p)」

ちゃらんぽらんという側面はありながらも、それで戦い抜いた才があったわけで、そのことをもっとやさしく、そして深く掘り下げてみる必要があります。

さて、このカエサルについては、その性格問題から、次の台詞、すなわち彼の言葉の問題に話が展開していきました。

言葉とは、事がうまくいっているときには不要であり、そうではない、つまり、事が思ったように進まなくなったときに求められるものだというのです。

そして、言葉として最も大切なことは、「説明する」ことではなく、「最後の殺し文句」をいえるか、書けるかというのです。

そして、彼女は、この殺し文句が言える政治家がほとんどいなくなったと指摘し、この文句によって、相手を「たぶらかす」ことが、ことさら重要であると強調します。

さすが、言葉を大切にする作家ですから、またもや「刺激的な」表現が出てきました。

それは、「たぶらかす」です。これをどう考えればよいのでしょうか?

カエサルは、この殺し文句、たとえば、「賽は投げられた」で、自軍の兵士たちを「たぶらかす」ことに成功したと、彼女はいうのです。

同時に、戦いにおいては、相手を「たぶらかす」必要があります。ギリシャでの宿敵ポンぺウスとの闘いにおいては、相手方7000の騎兵に対し、味方はわずか1000騎しかなく、これにベテランの歩兵2000を配置して、これに立ち向かったのです。

敵のポンぺウス側の作戦は、この7000騎で、カエサル側の右翼を粉砕し、その後に、背後にまわり挟み打ちをすることでした。

これを逆に利用して、敵を「たぶらかす」作戦をカエサルは次のように立てました。

「まず、1000騎で7000騎の騎兵に正面からぶっつかり、その後すぐに退却して逃げる、これを追ってきた7000騎に対しては、ベテランの歩兵が身体を張って持ちこたえる、この間に、逃げたていた1000騎が、その7000騎の背後に周り、これを挟み撃ちにしながらせん滅する」

実際、圧倒的に数で勝っていたポンぺウス軍を完全に打ち負かして、その「たぶらかし」作戦を成功させたのでした。

このとき、自軍に対しては、兵の数においては劣っていても「自分たちでやれる」と思わさせること、すなわち、たぶらかすことにも成功させていたのです。

たぶらかされたポンぺウス側は、勝てると思いながら、その意表を突かれて敗北まで追いやられてしまいました。

この意表を突くこと、これがリーダーとしてとても大切なことだというのです。そして、この意表を突く「はったり」が、なぜ言えないのか、できないのか、現在の政治家の資質にも言及します。

カエサルらは、それこそ命をかけて戦をしているわけですから、たとえはったりといえども、そこには重みがあります。その重みが現在の政治家とはまったく違うと明言します。そこまで、自分を追い込んではいないというのです。

リスクを背負う、背負わざるを得なかった、それゆえに、決断したときには、「男らしく」見えてくるのでした。

そこで、リーダー論となったのですが、彼女は、自分の息子の教科書(イタリア)に載っていた「リーダーの5条件」を次のように紹介しました。

1.知力

2.説得力

3.耐久力

4.持続力

5.自己制御力

いままで、日本で聞いてきた「リーダーの条件」とはかなり異なっているようです。

この5つが備わっていれば、実行力は決断力などはすでに身についている当然のことだそうで、その通りだと思います(つづく)。

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