特急ソニックからの車窓から見えるのは暗闇ばかりです。宇佐を過ぎ、杵築へ、それから亀川に到着するようです。

杵築は、松平公がいた城があり、坂道がある古い街並みで有名です。それから、亀川は別府市内の地名で、ここにも有名な温泉場があります。

昔、この亀川の大衆浴場に入りにいったことがあります。また、海辺にある国際観光会館もよく訪ねたところで、その近くの砂浜では、海岸の砂浜まで温泉が出ていて、砂湯が名物だったころもあるようでした(砂浜で、温泉水で温められた砂をかぶって身体を暖める入浴法)。

なにせ、幼き頃の私にとっては、別府や大分は都会そのものであり、開けたハイカラな地でした。

記憶に残っているのは、たしか大分駅で両親と一緒に弁当を屋べた記憶があります。この時のおかずが塩サバで、これと握り飯が大変美味しかったことを覚えています。

亀川を過ぎると別府、そして終点の大分に着きました。大分にしては、あいにくの寒い小雨模様の夜となっていました。

ここで、地元の先生方の出迎えを受け、さっそく、懇談を兼ねた夕食会に参加しました。ここには、繁華街が2つあり、かつては新日鉄の社員5万人がどっと繰り出して賑やかだったそうです。

ここでごちそうになったのが、「りゅきゅう」と「鳥天」でした。前者は、新鮮な魚の刺身を醤油等で薄く味付けしたもので、なかなか奥ゆかしい味でした。

「りゅうきゅう」というのですから、その由来は沖縄かもしれません。そういえば、沖縄では、このような味をつけた魚の刺身の漁師料理があります。

これは、獲れたてのマグロの刺身を味噌と胡椒、そして薄切りのキュウリであえたもので、70年代半ば一皿800円でした。

港のある食堂では、この料理がよく出されていたそうです。その後しばらくして、その食堂もなくなっていました。

この料理に比べて、やや上品なのが、この「りゅうきゅう」でした。

後者の「鳥天」は、どうやら南部の呼び名のようで、大分の北部では、単に「空揚げ」というのだそうです。

ですから、「鳥天」と「から揚げ」のどちらが美味しいかということには意味がなく、地元では、土地によって呼び名が異なることが正解のようでした。

しかし、この鳥天は、これまでのものとやや異なっていました。それは、鳥のささ身の部分を天ぷらに揚げていたからで、これも初めてで、上品な味になっていました。

大分県のなかでは、大分市がもっとも都会ですから、このように洗練された食べ物があるのだと私なりの納得をさせていただきました。

地方にいけば、なかなか日頃は味わえない美味しい食べ物があるものですね。また、これらの名物をいただきながら、安心院蔵という麦焼酎も少し堪能させていただきました。

故郷に久しぶりに帰ってきたせいでしょうか、小雨模様とはいえ、その空気と空を懐かしく感じたせいでしょうか、時が進むにつれて、私の心が徐々に開いていったのでしょう。

ついつい、話が弾んで、まことにゆかいな大分の一夜となりました。

さて明日は、80分間の講演をすることになっており、ホテルに帰ってから、しばらく仮眠して、その準備に取り掛かりました(つづく)。

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