イタリアの子供の教科書に出てくるリーダーとしての5つの条件は、知力、説得力、肉体的耐久力、持続する意思力、自己制御力でした。

この条件を備えた典型的ローマ人がユリウス・カエサルでした。

彼は、敵の意表を突き、数では劣性のなかでも勝ちぬいていく才がありました。それゆえに、彼にどこまでも付いていける兵士が少なくなかったのです。

政治的センスとは「はったり」であり、現在のリーダーにはこれがないそうです。なぜ、それがいえないのか、これが問題なのです。

近頃の政治家は、「嘘をついた」とすぐに糾弾されます。物事において、想定しなかったことが起きたときこそ「ことば」が必要になります。なぜ、できなかったのかを他人に伝え、説得する必要があるからです。

それでは、なぜカエサルらは、「はったり」がいえたのでしょうか。

ここで、カエサルらと現代の政治家との比較がなされます。

カエサルらは、成功させないと命を奪われるというリスクを背負わされていたが、今の政治家は命を奪われることはない、ここに大きな違いがあると指摘するのです。

彼らは、自分を追い込んで、リスクを背負わざるを得なかった。だから、決断もでき、その姿が男らしく見えたというのです。

その意味で、上記の5つのリーダーの条件を実行することが大切で「男らしい」ことになるのです。

このリーダーの出現によって、ローマという超大国は長く存続することができました。これに対し、毎年のように首相が変わっていくどこかの国とは、えらい違いです。

長く続く、成果的な経済危機の中で、わが国もそれが進行しています。ご承知のように、国の財政破たん状況はどんどん深刻になっています。

通常の家庭であれば、このような赤字の借金体制に陥った場合には、その赤字を生み出した部分を真っ先にカットしていきます。同時に支出も抑えて、これで収支のバランスがとれるようになり、黒字化へ向かいます。

こんな簡単なことが、今の政治家にはできないようで、その赤字体質には目を向けず、とりあえずは税金で取ってしまおうということですから、その魂胆は見透かされています。

この国をどうするのか、どう考えるかの知力に長け、国民や外国を十分に説得できる力を持ち、激務に耐えられる身体能力を有し、決して自らの国づくりのビジョンに沿ってぶれない持続力を発揮でき、軽率な発言で自らを危うくすることがない、自己制御・管理能力を有したリーダー、このような方が、今こそ、わが国には求められているような気がします。

塩野さんは、政治のことを魚に例えていました。

「魚は頭が腐ると、それが身に及んでくる。政治は、この頭に相当する」

こうなると、5つの条件を備えたリーダーづくりを自前でやるしかないように思いますが、いかがでしょうか。

リーダーづくりの名人といえば、山口の「吉田松陰」がいます。あの若さで立派な弟子たちを何人も育てました。そして、上記のリーダーの条件を備え、体現したのが松陰自身でした。

身体を張って、自らリスクを背負い、決断ができたがゆえに、かれは男らしくなり、体制側は、危険人物として罰し、死に追いやったのでした。

「21世紀の松下村塾、これが必要ですね」(つづく)

Yosida-1