超大国「ローマ」は、1000年、2000年という単位で、なぜ長く持ったのか、この問題に話題が移りました。 

「ファミーリア」とは、ラテンゴデ「運命共同体」を意味し、カエサルは、征服した国を運命共同体と考え、いっしょに働くことを認めていきました。 

たとえば、ソクラテスはアテネ市民でしたが、アリストテレスは、そうではありませんでした。

アテネ以外の市民には、決して永久市民権を与えないのが当時の国々のしきたりであり、この常識を破ったのがローマの独裁官のユリウス・カエサルでした。

彼は、ガリア(今のフランス等)での戦から「クリメンティア(寛容)」の精神に基づいて、征服した国の人々に永久市民権を与えてきました。さらに敵の大将や兵士をも許し、逃亡した大将らと再び戦場で交えることすらありました。

しかし、カエサルにとっては、クリメンティアの精神に基づく実践こそが重要であり、逃がした敵が寝返ることは小さなことでしかないと思っていたのでした。

帝政移行後も、格差のある社会ではありながらも、人事において流動的な施策が適用され、優秀な人材が参加できるシステムづくりがなされました。

いくら格差があっても、流動性があれば社会の健全性は保たれる、問題なのは、その格差が固定されるときであり、今の日本がそうであると塩野さんは指摘します。

長続きする社会には必ず中産階級があり、人材を活用するメカニズムがうまく働いているときには社会や国は興隆するというのです。

中産階級が日本社会に消えて久しく、優秀な人材ほど疎まれる、この世の中は、超大国ローマとは違って早く滅びてしまう可能性がありますね。

カエサルは、若い人に門戸を開放しました。たとえ、その若手が失敗し続けても任せ続けたのでした。いつの世も人材は散らばっており、それらを集めては活用するという相乗効果を発揮することができたのです。

同時に、ローマでは多神教が基本で、他の神を排撃しなかったことも重要なことでした。

こうしてローマは時代を切り開くパワーを得たのでした。

(つづく)

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