昨日の最終講義は無事終了しました。

約150名の席が満員で、臨時の椅子も出され、後ろの方では立って聞かれている方々もかなりいて、相当な数の方々が参加されたようでした。

また、出入りの業者の方が後から電話がかかってきて、会場が満員で入ることができませんでしたという報告がありました。

じつは、この最終講義に関しては、実行委員会にまかせっきりで、何も事前に動きませんでした。自然のなりゆきにまかせよう、こう思っていました。

今でも、それでよかったと思っています。

もし、仮に知人や企業、メディアなどに呼び掛けていたら、それらの人々が相当数駆けつけていましたので、その分が溢れて会場に入れなかった可能性がありました。

「本当に動かなくてよかった。もし、動いていたら大変なことになっていた」

ほっと胸をなでおろしたところでした。

それにしても、よく人が集まってくださるようになりました。

もちろん、このホールでは、初めての満席、立見席、臨時椅子などのことが起きていました。

このように、人が満員で溢れる状態になりましたので、会場の雰囲気は自然に盛り上がっていきました。

ここで、連載中の「高専の『一分』と東日本大震災復興支援」と題して最後の講義をさせていただきました。

なにせ、36年間の思いを込めての講義でしたから、自ずと力が入っていくなか、できるだけ淡々と自然流で話をさせていただきました。

途中、いわむらもみじ屋の「もみじ饅頭」の話になり、ここで全員に、この饅頭を配りましたので、会場が少し賑やかになりましたが、その分、この粋な計らいを気に入られ、とくに学生たちは大喜びしていました。

その後は、シーンと静かになり、みなさん、東日本大震災復興支援プログラムの成果については、とても興味深く耳を傾けられていました。

こうして、約65分の講義が終わり、その後に、大学時代の友人のM君とI校長の祝辞がありました。

このM君の祝辞については、彼の友人としての心情が熱く語られていましたので、別稿にて紹介させていただこうと思っています。

この小さくない余韻が冷めないまま、夕方からは、地元周南市の割烹料理店の招待を受けました。

ここも先代の時代からよく通った店で、それこそ36年間、お世話になったところでした。

とくに、店が不振の頃に、こちらは好調で、それこそ毎日、遠くからの訪問者がありましたので、よくこの店に通い、結果的に、ここの窮地を救うことになりました。

そのことがあったからでしょうか、この心温まる招待を受けることにし、地元の冬の味覚を堪能させていただきました。

最終講義に参加されたみなさま、割烹の「正喜越」のみなさま、本日はどうもありがとうございました。この場を借りて、厚く御礼申し上げます。

「山が動き始めている!マイクロバブルの重要な何かが伝わり始めている!本日の現象も一連の連続的な反応の結果かもしれない!」

宿舎に帰って一人になったときに、このような思いがひらめいてきました。

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