高専の「一分」

こうして、私の高専生活36年の前半は乱流研究に勤しみ、後半はマイクロバブルと共に過ごすことになりました。

楽しく、ゆかいで真に充実した日々を過ごすことができました。

同時に、日本高専学会(会長、ブレイクスルー技術研究所長)、土木学会教育企画・人材育成委員会高等専門教育小委員会(小委員長)等を通じて高専教育に関する研究に取り組んだことも大変有意義でした。

おかげで、高専教員としての「一分(いちぶん)」を、なんとか果たすことができたのではないかと思っています。

高専は今年で50周年を迎えます。この教育機関が、その50年の試練に耐え、さらに発展しようとしていることは非常に重要であり、そこには「優れた基盤形成」があったことに注目する必要があります。

その第1は、高専生と高専教員の優秀性にあります。高専は、その創立当初から、複線化教育を行う「異端児」としてみなされ、数々の矛盾を抱えていました。

しかし、高専生自身が、年月を重ねるなかで、その矛盾を解決し、乗り越えていきました。

もちろん、その陰には、高専教員による地を這うような教育と研究に関する努力がありました。

多すぎるほどの矛盾がかえって薬になり、やがて熟成する効果まで醸し出すようになっていったのです。

第2は、高専自身の「時代対応性」にありました。

その入口では、地方の低所得者層を中心にした優秀な中学卒業生を集め、その出口では、日本を代表する企業や大学、自治体に、いずれも高い評価を得て、堂々と高専生を送りこみました。

この形成は、次の50年にも有効であり、高専の「一分」は、それらを土台にしてますます発展させる可能性を増していくことでしょう。

最後に、その期待を込めて、高専生と高専教員のみなさまに、私の36年目にしての「到達点」である、次の言葉を贈ります。

「鋭く、大きな直観に基づく『知』を力にして(『直観』とは、直に観て、『考える』ことを意味します)」

(この稿おわり)

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