超満員で、大黒字になったダンスパーティーでしたが、それを主催した私にとっては、ちょっとした大問題がありました。

それは、長い間風呂に入っていなかtったので、周囲から「少々臭うよ、くさい」といわれていたことでした。

さて、どうしようか。当時の下宿には風呂という贅沢なものはなく、母屋のおばさんが、風呂が沸きましたよといってくるのを待って、風呂にはいるという方法でした。

この時間帯も、夕方から7時ごろまででしたので、この時間帯は大学祭の準備で忙しく、それこそ風呂に入るのも忘れて動いていました。

当然のことながら、そのうち、風呂に入れと呼ばれなくなり、というか、呼んでもいないので、いつのまにか忘れさられていたのだと思います。

「このまま臭いがする身体で出るわけにはいかない」

当日の朝になって、ほとほと困り果てていたら、「そういえば寮の風呂があった。もしかしたら水が残っているかもしれない」と思って、その風呂に忍び込むことにしました。

たしかに、風呂の水は残っている、しかし、当然のことながらお湯ではない、そんな贅沢はいっておれない、こう思って、一人優雅に風呂に入らせていただくことにしました。

そのうち、水風呂であっても、「ぼろは着てても、心は錦」の気分になり、汚れた身体をきれいにすることができると思ううようになり、なんだか嬉しくなっていました。

「長かった。いったい、いつから風呂に入らなくなったのであろうか?」

記憶を辿りながら、指折り数えてみると、それは45日でした。

「これでは臭うはずだ!」

と変な満足感を味わいながら身体を石鹸でこすったのですが、泡が出てきません。1回、2回、それでも出ずに、ようやく3回目にして、すこし泡が出てくるようになりました。

「45日も入らないと、石鹸でこするにも3回は必要なのだ!」

こんな発見を喜びながら、これできれいになれると思って嬉しくなったという、真に単純な出来事だったのです。

その後、下宿に帰り、1着しかなかったスーツに着替え、ダンスパーティーの会場に向かいました。

当然のことながら、「お前、どうしたのか?」と尋ねられるばかりで、その変身を遂げた方は、だまって、それをやり過ごすだけでした。

やがて、ダンスパーティーが始まり、若い男女が身体をくねらせて踊っていました。あの広いホールを若者たちが席巻して踊る様は豪華そのものでした。

ところが、私はというと、それを見ているだけです。

せめて、男性から誘われない女性が目の前に多数いましたので、彼女らを誘って、「どうですか、踊りませんか」といいたかったのですが、踊ったことがないので、それもできませんでした。

逆に、何人か、知り合いの女性が声をかけてきましたが、「私は、主催者ですから」という素振りを見せて、踊れないということを隠すのみで、今でも真に惜しいことをしたと思っています。

大学祭の最後は、大きな篝火(かがりび)を焚きました。たしか、この係りはM君だったのではないかと思います。ワンダーフォーゲル部ですから、火の扱いは慣れていました。

できるだけ、高く大きな火にしようといって、JRに枕木をたくさんもらいに行った記憶があります。

たしかに、大きく高いファイヤーができ、その大きさに感動したことを思い出します。

同時に、この火は、情熱を燃やしつくした青春の日々の終わりを示していました。

このとき、大学祭の実行委員長は、必ず留年するというジンクスがあり、周囲からも「お前も、そうなる!」といわれていました。

「おれも、そうなるのか? そうなったら、どうしようか」

チラリと、このような思いが過りましたが、「ここまできたら、どうしようもない。その時は、その時だ!」と奇妙な割り切りをしていました。

翌日は疲れ切ったのでしょう。目が覚めたのは、夕方でした。

M君らが、ファイヤーの後始末をしてくれていたようで、私が夕方確認にいったら、わずかな消し炭が残っていたのみでした。

こうして、長い大学祭が終わり、M君らとは一生涯忘れられない思い出の数々が出現することになりました。

「これから、どうしようか?」

自然に、この思いが湧いてきていました。そして幸いにも、M君も私も、それまで続いていた「ジンクス」を突破することができ、大学生としては最後の学年に進むことができました。

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