M君から寄せられた「メッセージ」の続き(赤字部分)を示します(2つ目の詩は省略)。

マイクロバブル技術を発明した技術開発を進め、事業化し、今や日本一有名な高専教授になったO君ですが、彼のT高専における忘れてはならない大きな貢献のひとつに「学位取得」があると思います。

若くして工学博士の学位を取得した彼に続いて、多くの先生方が学位を取得され、その結果が非常に早い時期に専攻科が解説されその名を高めた、重要な要因であったと記憶しております。

また、O先生を語る時、先生の2つの大きな特性を外す訳にはいきません。

ひとつは先生の学問・教育の目標。方法であります。

先生のそれは、人間を育てることであり、大きく育つ基本を造ることに置かれていたと思います。

この点が、国や地方が高専という教育機関に先ず求めた目的とややずれた部分があり学生を迷わせたかもしれません。


M君は、私が若い時からの研究活動を見てきてくれた方ですから、私どもが高専という小さな研究室で、しかも自前のテーマで独立して研究を行い、学位を取得していった苦労をよく知っておられました。

ですから、この問題を指摘されたのだと思いますが、これは、①自前の研究を貫き通す、②自らの未熟さをブレイクスルーするという二重の意味において少なくない意味がありました。

しかも、このような事例は非常に少なく、この研究活動が、本名君という2期生との深夜の実験から開始できたことが、ます幸運の始まりでした。

このとき、セレンディピティの女神が微笑んだのであり、私は、それを見逃しませんでした。

乱流という流れにおいて、壁近くの粘性底層と呼ばれる薄い層から、流体が複雑な動きで、しかし決まって秩序ある動きをしながら持ち上がる運動で、bursting現象とよばれる現象がみごとに可視化され、これを追いかけていったのでした。

やがて、この追跡は、人体に例えれば脚の部分であり、その胴体の部分には渦が対になる構造を見出し、それらをまとめたものが私の学位論文になりました。

つづいて、この乱流の秩序構造の研究を発展させたのが、S先生とW先生であり、二人とも若くして学位取得を成し遂げました。

今思えば、この乱流の可視化実験は実験室を暗くするために夜行うことが多く、そしていつも徹夜の状態になりましたが、またそれだけおもしろく、魅力的でした。

この時の写真が「流れの可視化技術賞」(流れの可視化学会)や土木工学ハンドブックの第12章表紙写真、流れの可視化ハンドブックの口絵写真などに掲載されるようになり、私たちの可視化技術は徐々に評価を受けるようになっていきました。

それから、M君は、学生を育てる観点についても言及されています。たしかに、その通りで、初期のころの本名君から始まって、H君まで、その人間的な基本にまで触れる教育をしてきました。

先日も、本名君がわざわざ挨拶に来られ、楽しい一時を過ごさせていただきましたが、その時は、現在の部長と教授ではなく、昔の学生と助教授に戻って話をしてしまいました。

30数名を引き連れた第一線の部長が、たちどころに20歳のころに若返り、ああだ、こうだと尽きない話をするのですから、それだけ中身のある時間を過ごしたのだと思います。

その後も、彼とはいろいろなことがありましたが、その都度立派な選択を行い、今のようになっていったのだと思います。

「先生、最近はうちの会社に東大や京大卒が入ってきます。かれらは優秀ですね!」

こういっていた彼が、彼らを指導しているのですから、立派なものです。

それから最近のH君、私のいうことをよく理解するようになり、一言いうと、その次の行動までできるようになりました。

動きが素早くなり、機転がきくようになりました。こうなると、周囲から見ても注目される動きになれます。

「H君、よくそこまで気付くようになったね」

こういうと黙ってやや表情を崩すH君ですが、まもなく、このT高専の青春の門を通り抜けていきます。

また、彼の研究成果は素晴らしい発見と実証の連続であり、真に優れたものとなりました。

「両H君、ご活躍、ありがとうございました。よくやりましたね」

M君、最後まであなたのいうようにさせていただきました。

つづく

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