M君のメッセージも最後の部分となりました。以下、赤字でそれを示します。もともと、彼は、いつも文章を書きなれているせいか、なかなか説得力を有する内容になっています。

それゆえに、中堅どころとはいえ、土木建築系コンサルタントの役員にまで上っていった秘訣をこの長けた文章からも垣間見ることができます。

この最後のくだり、それを読み上げるM君の声にも力が込められていました。

ともあれ乱流研究に始まり、流れの可視化、マイクロバブル技術の開発・活用、研究者の地位向上や土木学会の教育委員会活動等、多くの研究と教育界・社会に多大な貢献を続けてこられたO先生ですが、

定年という社会的ルールにより本年3月をもってT高専教授を退職され、今後は研究・事業・生活の基本を大分に移されると聞いておりますが、一層の活躍を期待する次第です。

終わりになりましたが、O君、健康で研究活動に力を注ぐ中でこの日を迎えられ本当におめでとう。

今後も、場所は移ってもますますの御活躍を祈念して、私のつたない祝辞は終わりたいと思いますが、社会のルールとしての退職時期は来たが、人間Oや私達がこの世とおさらばするにはまだ時間がある。

これからも、雨ニモマケズ風ニモマケズ 生きて、社会に役立つことをもっともっとやって、最後と言わず何回も声高らかに笑う場をまた持とう。元気で共に力を尽くそう。

本日はありがとうございました。

2012年3月21日 同志 M

M君、心のこもった、あなたらしいメッセージをいただき、真にありがとうございました。それこそ、互いに、雨にも負けず、風にも負けず、切磋琢磨しながら友情を糧にして奮闘してきたからであり、このような温かい激励をいただけたのだと思いました。

あのとき、あなたのメッセージを聞きながら、これまでのことが一挙に脳裏に浮かんできました。

とくに、貴方が広島カキ養殖改善において支援をしてくださったこと、そして、土木技術者の教育に関する真摯な意見を寄せていただいたことが重要でした。

また、琉球時代に沖縄に来てくれたことなど、彼の紹介で会社社長さんに面会したときに、その社長から、存分に研究をしてください、支援させていただきますといわれたことなど、それこそ尽きせぬ思い出とは、このような事をいうのでしょうね。

そのM君から、T高専という職場を離れても、なお一層、雨にも負けず、風にも負けす、そして微笑むだけでなく何回も高らかに笑うことをめざそうという壮大な激励を受けましたので、今後も、この友情を大切にしなければならないと思いました。

M君、あなたよりも一足先に、この職場を退官しますが、仰せの通り、どうやら、次の人生が行きつく暇もなく始まりそうで、過去を振り返るのは、あの最終講義のときだけになりそうです。

さて、今月は5つの講演旅行が待っています。これも、最近の活動における各種連鎖反応のおかげでしょうか、当面、これらをこなすことで、あなたがいう「今後」も形成されていくのではないかと思っています。

M君、そしてもう一人のM君、あなた方との原点は、あの焚き火の夜にあったのですね。そういえば、その焚き火が妙に暖かった、そのために、下宿に帰る気にはなれなかった、そして、うれしく朝を迎えたことを思い出しました。

M君、いろいろとありがとうございました。あなたの御健勝を心から念願いたします。また、近いうちに語り合いましょう。

(この稿おわり)