昼過ぎ、空路大阪伊丹空港から隠岐の島空港へ飛び立ちました。

この空港は隠岐の島町にあり、ここからタクシーで連絡船が待っている漁港へ行きました。

ここで待ち合わせ場所と時間にやや行き違いがありましたが、タクシーの運転手の機転でもう一つの漁港に移動し、すぐに連絡船の海吉丸に乗りこみました。

途中、やや海が荒れていて船酔いしそうな気分になりかけ、大丈夫かなと思い始めたころに海士町菱浦の漁港に接岸することができました。

いよいよ初めての海士町入りで、すでに海士町職員のTさんや島根県振興財団のHさんらが出迎えに来られていました。

挨拶もそこそこに、本日の講演会場のホテルに直行しながら、地元海士町のことをいろいろと尋ね、本日の講演の情報収集を行いました。

「いよいよ、現地入りか」

車が進むなか、こう呟きながら、これまでのことを振り返ってみました。

事のきっかけは、昨年10月に、島根県産業振興財団に招かれて松江市で講演会が開催され、そこに海士町のカキ養殖会社のS社長さんが参加されていました。

Sさんは、私の講演内容に非常に興味を持たれたようで、とくに大船渡での東日本大震災支援プログラムの成果に注目され、ぜひとも海士町においても取り組みたいと思われたようでした。

そこで、今年になってから、2月に、Sさんと海士町のO課長さんら4名が私の研究室を訪れてこられ、海士町での岩垣養殖についてマイクロバブル技術の導入に関する相談を詳しく受けました。

この頃には、東日本大震災支援プログラムにおける大船渡湾のカキ養殖に関する成果がより明確になっていましたので、それらを踏まえて、より詳しい検討がなされ、この海士町視察団の方々はますますやる気になったようでした。

このとき、「ぜひ、海士町に来て、講演をしてください」と依頼され、それが、今回実現の運びとなりました。

この過程を振り返ると、島根講演→研究室訪問・相談→海士町講演と連鎖反応が発達していったことが明らかです。

この反応の連続的な発達過程は、最近の取り組みの重要な特徴であり、日本列島全体の視点から眺めれば、東日本大震災支援プログラム大船渡プロジェクトの成果が、地元岩手県や宮城県のみならず、全国的なスケールで広がり始めたのではないかと思っています。

「ここは、とてもよいところですね」

講演会場のホテルのロビーからは、海士町菱浦の海岸の全体がパノラマのように広がって見えました。

つづく

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海士町の海岸遠望(筆者撮影)