3月における6度目の奈良講演を終えて、25日の夜に帰宅しました。

「これから、あたかも戦争状態のような慌ただしさに突入する。果たして、月末の期限までに引っ越しが終了するであろうか?そして、その時まで体力が持続するであろうか?」

このような不安が過ってきましたが、実際も、その通りとなりました。

そして、「後悔、先に立たず」とは、このことかということを思い知ることになりました。

26日は、朝から、まずは、「家の引っ越し」から開始することにしました。じつは、この引っ越しは17日に済ますことになっていました。

ところが、17日の分では予定の10トントラックに入りきらず、その残った部分の整理と掃除がありました。

この明け渡しの期限が翌日の午後3時と設定されていましたので、ここを完全に「やりきろう」ということになりました。この家は公務員宿舎ですから、明け渡しの際に決まった点検があり、それに合格して明け渡しとなります。

同時に、次のい引っ越しとして、会社部分、それから、私の2つの実験室と研究室があり、これらも同じように点検を受けて合格するまで作業を進めていく必要がありました。

そこで、最初に家、次に会社、最後に学校という順庵で、それぞれの期限に間に合うように作戦を立てていきました。スタッフは、私を含めて3~4人しか確保できず、いよいよ、途方ない怪獣と闘う気分に陥っていきました。

作業を進めていくうちに、それがどの程度かを理解し始めます。

「間に合うのか、間に合わないのか? いや、間に合わない! どうすれば間に合うようになるのか?」

若いころには、このような事態に何回か陥っていたことを思い出し、あのときと同じように、「何か、危機打開の方策があるはずだ!」、必死で、この思考回路を回転させていきました。

「このままだと、家の整理が済まないので、このままの状態で、ひとまず、残ったものを会社の方に運びこもう、これしか27日に間に合う方法はない」

この提案が受け入れられ、残されていたかなりのものを一端会社の方に運び込み、その後の清掃に取り掛かりました。こうして、約1日半で家のアパートの引っ越しが一応完了し、残るは、借りた布団と炬燵のみとなりました。

裸電球の下、わずかな布団と炬燵一つで3人が寝泊まりするという「引っ越し生活」が始まりました。

ひとまず、家の部分がなんとかなり、「意外ときれいですね」といわれて、なんとか最初の肩をなでおろしたのですが、それも束の間でしかなく、これから突入する第二段階、第三段階のことを考慮すると、その寝食を共にした味方たちは、なかなか明るい気分にはなれないようでした。

こんな時は、「何か美味しいものを食べに行こう!」と日替わりで出かけましたが、それだけでは気分の解消にはいたりませんでした。

「何か、今の絶体絶命の状態から脱出できるよい方法があるはずだ!それを考えよう、見つけよう」

私は、この打開策を見つけることを必死で考え続けていました。

「今日からは、夜の食事の後も作業を進めることにしよう!」

これは打開策ではなく、当面の継続策でしかなく、それとともにより厳しい状態に突入することになりました。

まだ、先は見えないままでした。

つづく

MR900343717