「ないものはない」とは「あるべきものがある」と理解することができます。人は、このあるべきものを求めて都市を形成させ、そのなかにたくさん積み込んできました。

ところが、その「富」とを求める欲望は際限なく広がり続け、その結果として、都市の中にはヒトを翻弄し阻害する部分までもが形成されるようになりました。

こうして都市は巨大化し、まるで個別の生き物のようにふるまうようになり、そこを求めてきたはずの若者や老人さえもが住めなくなってしまうようなことが起こり始めたのです。

たとえば、早稲田大学の政経学部を卒業したFさんは、有名なK書店に就職したのですが、そこでの忙しくて日々追われるような生活が続けられなくなってしまいました。

そこで思い切って転身を決断し、どこに移り住むかを調べていったそうです。そして全国の地域10ケ所の中から選んだのが、この「ないものがないまち」だったのです。

このFさんにとって「こころが満たされるまち」が、このA町だったのです。

さて、この「こころが満たされる」とは、どういうことでしょうか。ここには、豊かな自然、美しい景色、農山村、そして恵みの海があります。

これらの稀有な自然と農山村のなかで、そこに住む人々の心が、どのようにしたら真に満たされるか、ここが焦点となります。

先に示した総合計画では、この「こころを満たす」方策として教育を進めることが強調されています。

たしかに、人を育て豊かな人間性をはぐくむ教育を行うことは重要なことです。この島ならではのすばらしい教育方法があるはずで、それを開発していくことが人材の構築に重要な役割を果たすはずです。

しかし、問題は、それに留まらず、その教育をもっと発展させて、島からの人口流出を食い止め、逆に人口流入を大幅に達成して、島の人口を増やすことを実現していかねばなりません。

長く続いている人口減から人口増へ、この課題が「こころを満たす」ことと密接に結びついており、この考察をよりふかく進める必要があります。

つづく

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A町海岸の奇岩、筆者撮影(20120320)