引っ越し作業も徐々に治まり始めてきました。こちらに来て1週間が過ぎ、久しぶりに早朝散歩に出かけました。

早朝散歩にしては、すこし遅い時刻だったからでしょうか、すれ違う人もほとんどいなくて、向陽台の団地のなかを一人歩いて抜けて行きました。

そして、西側の高台にある水源池まで行き、その東側を眺望しました。折から、薄紅の色の太陽が東の海から上ったところで静かな別府湾がよく見えました。

また、200戸あまりの団地の住居を一望することもできましたが、残念ながら我が家は他の家陰に隠れて見ることができませんでした。

この1週間、引っ越し作業で疲れきっていた体調を回復することに専心してきました。徐々に回復の途上にありますが、なにせ38年分の蓄積の分がありますので、これが抜けきるにはかなりの時間が必要となるでしょう。

これまでの世界とまったく異なるところで再出発、この感じは、1994年のドイツ留学の時とよく似ています。あのときは最初に単身赴任でしたので、自分の健康維持のことについては特別に配慮していたことをよく思い出します。

自分で食生活を組み立て、身体の回復を観察していました。結局、それが成し遂げられるまでに丸3カ月を要し、「疲れの蓄積」とは、それだけの長さ分があることを自覚しました。

となると、この経験法則を適用するのであれば、これまでの疲労が完全に抜けて「新しい自分」になるのは、まだしばらくの時間経過が必要であるように思われます。

さて、昨日は大変立派な看板の話をさせていただきました。吉田松陰の「松下村塾」に因んで「国東下村塾(くにさきかそんじゅく」と呼ぶことにしました。

ところが、近所の方から、次のような問い合わせがあったそうです。

「何ができるかのと思っていたら、お宅は塾を開かれるのですね。下村(しもむら)さん、そうでしょう?」

この方は、国東の下村(しもむら)さんが、私塾を開くのだと思われたようでした。

「いえ、いえ、違いますよ。私どもはシモムラではありません。あれは、主人が開く塾でして、クニサキカソンジュクと呼ぶそうです」

「どんな塾ができるおですか?」

「くわしくは、主人でないとわかりません。なにやら、マイクロバブルのことらしいですよ!」

「マイクロバブル、どこかで聞いたことがありますね。そうそう、先日の新聞に乗っていたものですか?」

「おそらく、そうだと思います。地元の新聞に紹介されていたようです」

というわけで、いまだ、シモムラ塾と間違えられている「国東下村塾(くにさきかそんじゅく)」です。

そろそろ、塾を開き、講義を始める必要がありますね。

つづく