物事は,さまざまな体験的実験を伴うものですが,その実践においては,最初から完璧な成就に至ることはありません.
これは,人との会話においても同じことがいえます.相当の経験や訓練を経ないと,ほぼ100%に近いことを言うこともなかなかできないことです.ましてや,以心伝心に至る境地を得ることは相当に難しいことといえます.
そこで,何かを実践する,あるいは言うということについては,後から考えてみて,その時のことを思い出しながら検証を行い,その本質は何であったかを粘り強く考え続けてみることが大切です.
この思索(筋道を立てて深く考えること)によって,事の本質がしだいに鮮やかに見えてくると,
「なるほど,そうだったのか.キーポイントは,ここだったのか!」
と,つぶやくようになります.
その意味で,粘り強い思索が重要であり,それを自然に繰り返すことによってのみ,この本質を知る喜びも味わうことができるようになるのです.
先日の学校視察,㈱ナノプラネット研究所での集中的な議論(ブレーンストーミング),そして吉田松陰と松下村塾での教育法など,これらには「後の思索」が自然に生まれていますので,それらには,いつもいう「重要な何か」が,いくつも含まれていたのではないかと思います.
ここまで来ると,その実践も議論も,さらに重要な意味を増してきます.
「次が見えた,場合によっては解決の糸口が見えた,活路が開けた!」
ということに至るのです.
その意味で,何事においても.積極的姿勢,プラス思考が重要になります.これらがなければ,その本質にも,糸口にも,ましてや活路を見出すことはできないのです.
この姿勢と思考を最も重要と考え,それを教育の評価に適用したのが吉田松陰でした.彼の評価法は,「三等六科」と呼ばれ,具体的には次のように分類されていました.
上等:「進徳・専心」
中等:「励精・修業」
下等:「怠惰・放縦」
知識の量を詰め込むのではなく,基本的な資質を育てることが重視されていました.これは,現在の教育法においても,非常に重要な視点ではないかと思います.
「華夷弁別」に基づき,「進徳・専心」を可能とする人を育てる,これが現代における教育法に求められているのではないかと思いますが,みなさまは,どう思われますか?
つづく
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