ささやかですが,私の松陰研究が徐々に進み始めました.
すでに,4冊の本を読み,2つのDVDの映画を拝見しました.これらを視聴し,吉田松陰の人物像や歴史的背景などを幾分理解し始めたような気がしてきました.
なかでも,『世に棲む日日(一)』司馬遼太郎著では,若いころの松陰の自己形成の様子がリアルに述べられています.
さすが,わが国を代表する作家だけあって,吉田松陰という人物の把握や表現の仕方が,かなりちがいますね.
それから歴史的事実や人物に関する知識量が相当なもので,それらを駆使することで総合的なおもしろさがふんだんに盛り込まれています.
かれの作品は,いままで本格的に読んだことがなかったので,とても新鮮な気分で接する喜びを味わっています.
さて,『世に棲む日日』の第一巻でとても印象に残ったことの第一は,松陰が日本全国を歩き回って賢くなった,足で修練したということでした.
若くして山鹿流兵学を見に付けた萩明倫館教授になったものの,かれの知力は,それだけに満足せず,全国各地の書や人(学者)を求めて,自ら足を運び,勉強を重ねていったのでした.
こうして,松陰は若くして第一線の学者と交流し,その生きた学習を行うことで自らを修業し,その結果として,自らをより優れた鍛錬の場に追い込んでいく,これを発展させていきました.
第二は,その行動において常に「飛躍」があったことでした.東北旅行においては,「脱藩」をしてまでも決行し,長崎へはロシアの船に密航するために行き,そして,浦賀では,アメリカのペリーの船に命をかけて乗り込もうとします.
通常の侍,学者であれば,このような行動に踏み切ることはなく,その原理は,見聞を広めたい,国を守りたい,師の教えに従いたいという純粋透明な希求を発展させていったことにありました.
不器用だが,足で学んだ成果を,自らの行動に具現させて成長させていくことを「天賦の才」としていたのが,かれの重要な特質だったのではないかと思われます.
自ら足を運んで見聞し,考え,議論を行い,そしてまた,何をなすべきかを考え,行動する,その結果として,それが常識や仕来り,さらには規則を乗り越えてしまう,そのために自らは困難に追い込まれる,しかし,それが,さらにかれを鍛える,このようなサイクルが常に働いていたのだと思います.
この過程で,松陰に何が何が生まれ,何が働いていたのか,それがどう成長していったのかなど,より詳細に検討してみたい事項が多々あります.
いずれにしても,かれのなかでは,考えに考え抜いて,その結果として最適の行動を起こし,それを決してぶれずに貫く,この精神が,その後に,少なくない人々に影響を与えていったのではないかと思われます.
つづく
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