しばらく,書き物に没頭していましたので,本ブログを書くことができませんでした.

今回は,高専50年を振り返っての論文でしたので,久しぶりに昔の文献に触れることができました.

この問題意識については,先日の「X&Y先生」への書簡でも,少し紹介させていただきました.

合計の字数は8000字弱になり,それでも完結しませんでしたので,残り半分は次号に掲載させていただくことにしました.

「高専50年から何を学び,何を展望するか」が,そのタイトルでした.

これを契機に,私の高専研究を少し進めていこうと思っています.

さて,本日は久しぶりに早朝散歩に出かけました.季節が進み始めて日の出の時刻が早くなり,その上る所もより東に移動しています.

その方角には竹藪があり,水平線の向こうから日の出を拝むことができません.

これから,その東への移動に伴って,お日様が水平線の向こうに顔を出すことになるかもしれませんので,その暁の日を楽しみにしています.

散歩は,いつものように団地内を通過し,周囲の家並みと庭を見ることにしています.

ここは電柱も電線もなく,かつて住んだことのあるドイツのゲッチンゲン市ガイスマーの家並みによく似ています.

同時に,ここには異臭問題があり,風にのってさまざまに異臭が襲来するようで,この調査も兼ねて散歩をすることにしています.

不思議なもので,これも習性なのでしょうか,わが鼻を頼りにして,臭いを嗅ぎながら散歩するのも,なかなか,おつなもので,これができるとなると,散歩に出かける意欲が湧いてくるようです.

本日は,やや離れた地域で,わずかですが同質の臭気を感知することができました.

どうやら,複雑な地形の谷沿いに,この臭気塊が流れてきているようです.

この臭気流の謎解きと改善が,これから重要な取り組みの課題になっていきそうです.

謎解きといえば,いつも散歩の折に不思議に思うことは,人をほとんど見かけないことです.これは昼間も夕方も同じことです.

当然のことながら人の声も聞こえてきません.聞こえてくるのは,雲雀と鶯,そして夜はカジカ蛙の鳴き声ばかりで,その様は映画「阿弥陀堂だより」とよく似ています.

そして,主人公が,その自然に囲まれて心身を癒していく様も,どこか似ているような気がしています.

人を見かけないということは,みなさん,朝早くから夜遅くまで仕事に行かれているからでしょうか.それとも,別の理由があるのでしょうか.

謎は深まるばかりのようです.

つづく