司馬遼太郎作『世に棲む日日』全4巻を読んでから,思想家「吉田松陰」と革命家「高杉晋作」のことについて,より興味を抱くようになりました.

そこで数冊,例によってアマゾンで,高杉晋作に関する書籍を注文し,その一部を読み始めました.

革命家高杉晋作は,現実的合理主義者であり,戦略家でもあった.どうやら,司馬遼太郎は高杉を,このように理解していたようです.

そして,上述の『世に棲む日日は』,吉田松陰の思想が,高杉によって,どのように受容され,屈折され,そして飛翔していったのかを描いた作品でした.

まず,高杉は,江戸の獄中にいた松陰に対して可能な限りの支援を行い,松陰が処刑される直前においても,彼と面会し,松陰から,その思いを告げられています.

また,その後,萩へ帰国して松陰の実家に挨拶にいった際に,江戸からの使者からの松陰処刑の報を,家族ともども受け取ります.

このときのシーンが映画『蒼天の夢』のクライマックスとして描かれ,松陰の辞世の句の一つが示されています.

親思うこころにまさる親ごころ

けうの音ずれ何ときくらん

映画では,松陰の母の瀧が,「私よりも先に死なないと,指きりげんまんして約束したではないか」といって一人泣き崩れるシーンがあり,涙を誘いました.

以来数年,高杉を始めとする松陰門下生たちは,松陰の遺志を継ごうとしますが,なかなかそれを達成できないままでした.

この状態から,高杉は,どのように「屈折し,飛翔していったのか」,ここが非常に重要なポイントになります.

ここを探るために,もう一度『世に棲む日日』を読み返すことにしたいと思います.

ところで,高杉晋作の身長は150cm程度で小柄だったようです.それを気にしていたのか,高杉が写った写真には立っている姿がほとんどないそうです.

これらの写真を見ますと,山口県には,このような顔立ちの若者がいたことを思い出しました.

つづく

Takasugi1