秋山香乃作『晋作蒼き烈日』を読ませていただきました.史実を基礎にして,ほとんど私見を挟まず,物語として丁寧に描いていくことが彼女の手法であり,その分だけ,物語としての楽しさを味わうことができました.

これに対し,先に読んだ司馬遼太郎の『世に棲む日日』では,随所に,松陰や晋作の人物像,思想や行動原理を作者なりに理解し,評価して書き進めてられていましたので,まことに好対照の描き方だと思いました.

それぞれ,作者の個性が出ていて,共におもしろい作品でした.

さて,前稿において,晋作を決定的に変えたといいましょうか,革命家としての晋作が形成される出来事とは何か,これについて両者の作品の該当箇所を改めて読み返してみました.

ともに,晋作の洋行,すなわち,2カ月間の上海滞在であった,という指摘があり,同一の理解がなされています.

諸外国の数百隻にわたる軍艦や近代兵器,兵隊などをつぶさに見て,さぞかし晋作は驚いたことでしょう.そのことが両作者によって克明に記述されています.

この列強諸国との軍事力と科学技術力の大きな差を目の前にして,「日本は一たまりもなくやられてしまい,この上海のようになってしまう」ことを,すぐに理解しました.

ここからの描き方が,両者においてやや異なってきます.

革命的現実主義者でかつ合理主義者の晋作の上海体験を司馬遼太郎は,次のように記しています.

「かれは,西洋文明について最初,黄浦江の江上から上海の都市景観をみたときこそ肝をつぶしたが,そのおどろきはすぐ消えた.

正体はなんだろうとおもった.国にいるとき,蒸気汽かんとそのエンジンの原理(実物はみなかったが)を頭の中で理解してしまっていた.

そのあたまで上海を見たとき,西洋文明の正体というのは道具である,とおもった.

道具をふんだんに作りだして,それをいろいろ組みあわせて巨力を生みだすというだけのことだと見ぬいた.

そのモトは,

(どうやら数学だ)

と,おもった」

おそらく,ここでの「道具」は,「技術」といってもよく,その技術の本質が「数学にある」と理解した晋作は,慧眼の技術者でもあったといってもよいのではないでしょうか.

このとき,晋作が観察して記録した文書は科学性に富み,老熟した大学教授の筆をおもわせるとまで書かれていますので,彼には,物事の本質を直感的に理解する能力があったのではないでしょうか.

さらに,司馬は,晋作の人物像に,次のように迫っていきます.

「高杉晋作が常人と大ちがいに違っているところは,上海で西洋文明の壮観を見て型どおりに開国主義者にならなかったところであった.

じつはかれは上海の『西洋』に圧倒され,内心それをはげしく好んだ.

かれは技術や機械に魅力を感ずるタイプの人間で,その意味からいっても西洋好きにならざるをえない.・・・・」

この「技術好き」が,後の幕府との海戦において,かれらとは桁違いの威力を発揮するようになったように思われます.

科学と技術の目と頭を持った晋作が,この上海洋行において花開いた,ここに重要なポイントがあるように思いましたが,さて,みなさんはどう思われますか?

つづく

ファイル:Takasugi Shinsaku and others.jpg

中央が晋作,右は,晋作を慕った伊藤俊輔,高杉は背が低かったので,この写真でも座って写っている.この高杉の顔も,山口県ではよく見かける顔である.