ようやく論文を書き終え、次の論文へと休むことなく移り始めました。頭というものには慣性があり、ひとたび動き始めるとなかなか止まりません。
じつは、今回の論文よりも、それ以前の方の慣性が残っていて、そのなかに、今回の論文が割り込んできたという具合でした。
それ故でしょうか、今回の論文はなかなか本格的な発動にならず、その分だけ、苦労することになりました。
しかし、今回の論文のテーマは、東日本大震災支援プログラムに関することですから、そんなことをいっていても埒(らち)が明かないので、いつのまにか私の頭は本格稼働になっていました。
やはり、東日本大震災は、この国と人々の根幹を変えましたので、その次元からの取り組みが最優先される必要があります。
合計で1万字弱、これで、昨年度の取り組みの区切りができました。論文が無事掲載されましたら、配布が可能ですので、別途ご連絡ください。
さて、「屋外にリビングがある家」に棲み始めて2カ月が過ぎました。
心身が完全に癒され、回復する前に、なぜか、書き物が多くなった、それに追われる日々がなんとなく始まったという感じですが、それも必要で必然、そして最善のことなのでしょうか。
あまり流れに逆らわずに、自然流でいきたいと思っていますが、それも結構簡単ではないようです。
この新居に棲み始めて、すばらしいことがいくつも起こっています。
先日も、風が強く、何かが空にたくさん舞っていましたので、これは珍しい光景だと思ってよく見ると、それはタンポポでした。
じつは、この家の周辺の空き地には、黄色のタンポポが咲き乱れていて、それこそ「タンポポの丘」といってよいぐらいの咲き様でした。
まず、一斉に花開いたタンポポを見たことがありませんでした。それがしばらくして、綿帽子になり、風で空を舞い始めたのです。
最初は、今の季節には珍しく、トンボが待っているのかと思っていたら、それがタンポポだったのです。
こうして、花を咲かせ、梅雨の前に、実らせ、そして子孫を残すために、空を飛んで行くのですね。
この丘では、タンポポが、このように飛んでいく光景が昔から繰り広げられていたのでしょうか、この綿帽子の乱舞に、すこし心をときめかすことができました。
そして、学生時代によく歌った「タンポポの花」のことを思い出しました。
地元には、楓(かえで)小学校という学校があり、そこの校長が、この歌が好きらしいという話もありました。
「どんな花よりもタンポポの花を、あなたに贈りましょう!」
大きな声を張り上げて、よく唄ったフレーズです。
このタンポポ、来年も、きっとみごとに黄色の花を咲かせてくれるでしょう。
そしてここは、タンポポの綿帽子が舞う、素敵な丘のようです。
つづく
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